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荒祭宮(あらまつりのみや)は三重県伊勢市宇治館町にある内宮(皇大神宮)の境内別宮である〔#神宮便覧(大正14)p.30『(宮名) 祭神は天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)〔。 第62回神宮式年遷宮(2013年)では、他の別宮に先駆けて10月10日午後8時に遷御が行われた。 == 概要 == 荒祭宮は内宮正宮北方にある〔三橋(2013):104ページ〕〔#伊勢年鑑(昭和17)p.22『荒祭宮 荒祭宮は皇大神宮の北方神域内にあつて、天照坐皇大御神の荒御魂を奉斎する皇大神宮第一の別宮で、恒例、臨時の祭祀も亦本宮に引續きて執行せられ、勅使参内の祭典には勅使亦参内して官幣を奉納せらる。五月・十月兩度の神御衣祭の如きは皇大神宮と當宮に限りて行はれる。又神殿の構造・御装束神寶に至る迄本宮に亞いで最も完備して居る。當宮の創立は垂仁天皇二十六年倭姫命神宮を經營せられた時にかゝる。』〕。 別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる〔#神宮便覧(大正14)p.25『概要 別宮トハ本宮ニ對シテ稱ヘ奉ル稱號ニシテ、神宮ノ格式上本宮ニ亞ギテ崇敬セラルヽ宮社ナリ。皇大神宮所属ノ別宮十所、豊受大神宮所属ノ別宮四所アリ。就中荒祭宮ハ皇大神ノ荒御魂ヲ奉齋シ、多賀宮ハ豊受大神ノ荒御魂ヲ齋キ奉レルヲ以テ特ニ之ヲ重ンジ、本宮ト同日ニ祭儀ヲ行ハレ且ツ直視モ参列セラル。瀧祭神ハ古來別宮ニ準シテ神饌ヲ供進シ奉レルニ依リ本項末ニ加フ。』〕〔。 荒祭宮を「荒魂を祭る宮」の意味とするのが定説である〔#伊勢参宮案内p.30『荒祭宮(あらまつりのみや) 大神様の荒御魂(あらみたま)、正殿の後方の丘にある。』〕〔#高松宮日記2巻400頁『九月十七日〇八〇〇出艦。〇八二五ノ予定ガ〇八三五上陸。伊勢両宮に参拝。時節柄、特に荒祭宮に拝せむかと心構へしてゐたるも、入港して見たる新聞に遷坐、宮の屋根を修復する由の記事ありしかば、話しもせずおきたる旨慶光院に語り〔し〕ところ、まことにおそれある事なりき、表むきはお屋根修理なるも実はお屋根は大していたみたることにあらず、のきの一隅の穴よりコウモリ宮の中に入りて人知らぬ間に巣をつくり三十匹にも余りて汚し居たる様子なりと。二・二六事件にしても、その他の荒々しき曲事のシキリにあることに思ひ合せて、此度は荒みたまに拝せむと秘かに思ひたる心付きに引きかへて、また神秘なる感深きものあり。速かに神主たちが心からみたまつりをすることこそ、かくなりし上は望ましき限りなり。世にもおそろしくおぼへたり。(以下略)』〕。 『神宮雑例集』によると、創建は垂仁天皇26年10月であり、内宮の正殿と同時に建てられたという〔。 天照大神荒魂を祀る内宮の別宮は境外に瀧原竝宮(たきはらならびのみや)があるが、荒祭宮は内宮に月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮、瀧原宮、瀧原竝宮、伊雑宮、風日祈宮、倭姫宮と、あわせて10ある別宮の中で第1位とされる〔三橋(2013):104 - 105ページ〕。他の別宮よりも社殿が大きく、神御衣祭(かんみそさい)は外宮(豊受大神宮)では行わないが、内宮正宮と荒祭宮では毎年5月と10月に行なわれる。 内宮正宮参拝後に参拝するのが正しいとされ、正宮石垣の角の籾種石(もみだねいし)を右手に見ながら右へ進み、稲を納める御稲御倉(みしねのみくら)、古い神宝を納める外幣殿(げへいでん)を左手に見ながら進んだ先の石段を一度降り、次の石段を上った先に荒祭宮がある。この時に降りる石段には4つに割れ「天」の字のように見える石がある。この石は踏まぬ石と呼ばれ、避けて通らなければならないとされる。踏まぬ石は天から降って来たと伝えられるが定かではない。 荒祭宮に参拝できない場合のため、荒祭宮遥拝所が設けられている〔#神宮摂末社巡拝下p.14『荒祭宮遥拝所 忌火屋殿前庭の右の注連縄の張つてある外側で、荒祭宮に岐れる参道の入口の所を荒祭宮の遥拝所とする。皇大神宮御正殿を拝し終りて退下するもので、荒祭宮まで参らずして、歸るものは、こゝから同宮の方に向つて遥拝する所である。注連縄の中に、神官の石壺の座が見られる。』〕。籾種石の近くに石畳の上に位置する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荒祭宮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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