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荒舩清十郎 : ミニ英和和英辞書
荒舩清十郎[あらふね せいじゅうろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とお]
  1. (num) 10 2. ten 

荒舩清十郎 : ウィキペディア日本語版
荒舩清十郎[あらふね せいじゅうろう]
荒舩 清十郎(あらふね せいじゅうろう、1907年(明治40年)3月9日 - 1980年(昭和55年)11月25日)は、日本政治家運輸大臣
== 来歴・人物 ==
埼玉県秩父郡高篠村出身。先代・清十郎の長男〔『第廿一版 人事興信録 1961年(昭和36年)、あ一一七。〕。明治大学中退。織物製造業を経営〔。
埼玉県会議員となり、1944年(昭和19年)11月から1945年(昭和20年)11月まで副議長。1946年(昭和21年)日本自由党公認で第22回衆議院議員総選挙に立候補して初当選(当選同期に小坂善太郎二階堂進江崎真澄小沢佐重喜石井光次郎坂田道太水田三喜男村上勇原健三郎川崎秀二井出一太郎早川崇中野四郎など)。その後公職追放を受けたが解除後返り咲く。保守合同後は自由民主党大野伴睦派に属し、大野没後は川島派を経て椎名派に転じた。
1966年(昭和41年)第1次佐藤内閣第2次改造内閣の運輸相の時、自分の選挙区(当時の埼玉3区)にある深谷駅を急行停車駅に指定したため世論の批判を受けわずか2か月で辞任。その時荒舩は「国鉄も俺の言うことを一つくらい聞いてくれてもいいじゃないか〔この時の荒舩から国鉄に対する陳情は 1.深谷駅からの始発列車を設ける事 2.深谷駅に裏口を設ける事 3.八高線の輸送力増強 4.新駅設置 などで、これに対し国鉄は予算措置を伴わず他への影響も少ない事から急行停車を認めたとされる。〕」と言ったが、所属派閥の領袖・川島正次郎自民党副総裁から「やはり野に置け蓮華草」と言われた。また、この時の国会答弁での国鉄総裁石田礼助の『武士の情け』発言は有名である。
1970年(昭和45年)衆議院副議長となるが2年後に舌禍事件を起こしまたもや辞任。1976年(昭和51年)衆議院予算委員長としてロッキード事件証人喚問を取り仕切った。同年三木内閣改造内閣、翌年福田内閣改造内閣でそれぞれ行政管理庁長官。また、鬼頭史郎謀略電話事件においては弾劾裁判の裁判長も務めている。
1980年(昭和55年)11月25日死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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