|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 荻 : [おぎ] 【名詞】 1. kind of plant ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 守 : [もり] 【名詞】 1. nursemaid 2. baby-sitting ・ 守衛 : [しゅえい] 【名詞】 1. security guard 2. doorkeeper
荻原碌山(おぎわら ろくざん、1879年(明治12年)12月1日 - 1910年(明治43年)4月22日)は、明治期の彫刻家。本名は守衛(もりえ)、「碌山」は号である。 ==年譜== *1879年(明治12年)長野県南安曇郡東穂高村に5人兄弟の末っ子として生まれる。 *1896年(明治29年)頃相馬黒光と出会う。 *1901年 (明治34年)より渡米、西洋画を学ぶ。 *1904年 (明治37年)パリでオーギュスト・ロダンの「考える人」を見て彫刻を志す。 *1906年 (明治39年)渡仏。アカデミー・ジュリアンの彫刻部に入学。 *1907年 (明治40年)ロダンに面会。「女の胴」「坑夫」などを制作。 *1908年(明治41年)帰国。新宿にて彫刻家として活動を始める。「文覚」第二回文展で入選。 *1909年 (明治42年)「デスペア」。第三回文展に「北条虎吉像」「労働者」を出品。 *1910年 (明治43年)「母と病める子」「女」制作。4月22日急逝。第四回文展にて「女」文部省が買上げ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荻原碌山」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Rokuzan Ogiwara 」があります。 スポンサード リンク
|