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荻 晃太(おぎ こうた、1983年5月5日 - )は、岐阜県美濃市出身のサッカー選手。Jリーグの名古屋グランパス所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。 ==来歴== 小学校4年生(10歳)の時にサッカーを始める。中学生の頃からGKに専念するようになった〔最後尾から攻撃組み立て 朝日新聞デジタル (2013年3月2日)〕。1999年に岐阜工業高校に進学し、3年時の全国高校選手権では準優勝を果たした〔【第80回全国高校サッカー選手権大会】試合スコア速報 スポーツナビ (2002年1月8日)〕。同期は片桐淳至〔 岐阜新聞 (2009年03月16日)〕、岩田卓也、土屋貴啓など〔岐阜県代表 県立 岐阜工 (2年ぶり17回目) スポーツナビ〕。 2002年にヴィッセル神戸に入団。掛川誠が正GKを務めており、しばらく出場機会に恵まれなかったが、チームのJ2降格が決定した2005年J1最終節にリーグ戦初出場。掛川が退団した2006年から正GKに抜擢され、スチュワート・バクスター監督がリベロのようだと評した守備範囲の広さを武器に活躍。プロ5年目にしてA契約に移行した〔 ヴィッセル神戸 (2006年4月17日)〕。同年の福岡とのJ1・J2入れ替え戦ではチームを救う好セーブを連発しJ1昇格に貢献した。 2007年は新加入の榎本達也にポジションを奪われ、シーズン途中に大宮アルディージャにレンタル移籍するが〔 ヴィッセル神戸 (2007年8月28日)〕、江角浩司からレギュラーを奪えず天皇杯1試合の出場に留まった。2008年にはFC東京にレンタル移籍〔 ヴィッセル神戸 (2007年12月29日)〕〔 FC東京 (2007年12月29日)〕。正GK塩田仁史の控えとしてリーグ戦全34試合全てでベンチ入りし〔選手出場記録 Jリーグ (2008年12月6日)〕、チームをバックアップ。ナビスコカップ第6節「東京ダービー」ではスタメン起用され勝利に貢献した。 2009年はヴァンフォーレ甲府へ3チーム目のレンタル移籍〔 ヴァンフォーレ甲府 (2009年1月7日)〕。神戸時代にチームメイトだった阿部謙作から正GKと背番号1を奪うとDFダニエルらと共に守備を立て直し、シーズン通しての失点数を仙台に次ぐ2番目の少なさに抑え、チームのJ1昇格争いの立役者となった。2010年もレンタル期間を延長。甲府のJ1昇格に貢献し、2011年から完全移籍した〔GK荻晃太選手 ヴァンフォーレ甲府へ完全移籍のお知らせ ヴィッセル神戸 (2010年12月30日)〕〔 ヴァンフォーレ甲府 (2010年12月30日)〕。同年は6年ぶりにJ1の舞台に立ったが、チームの不振と自身の負傷から、シーズン後半は荒谷弘樹にポジションを譲った〔選手出場記録 Jリーグ (2011年12月3日)〕。結局、17位に終わり1年でJ2へ逆戻りとなった。荒谷が引退した2012年は開幕から正GKを務め、安定感を高めて〔【J2:第30節 甲府 vs 山形】レポート J's GOAL (2012年8月23日)〕J2新記録となる24試合無敗の立役者となり、1年でのJ1復帰に貢献した。同年11月15日、モデルで女優の長井梨紗と結婚した。2013年は開幕直後こそ正GKを務めるも、第3節名古屋戦でのファンブルによる決勝点献上〔心を切り替え日々努力 朝日新聞デジタル (2013年4月4日)〕や、並行開催のカップ戦で河田晃兵が上々のプレーを見せたこともあって、序盤は控えに配される試合が続いた〔選手出場記録 (1/2) Jリーグ (2013年12月7日)〕。シーズン中盤より再び出場機会を得たものの、終盤は再び河田に定位置を譲り〔選手出場記録 (2/2) Jリーグ (2013年12月7日)〕、この年は17試合の出場に留まった。2014年は序盤岡大生に先発を譲り欠場が続くも、中断期間前最後の試合となった第14節柏戦で完封勝利を果たすとその後はレギュラーの座を奪い返し、通年では23試合出場19失点〔2014年J1 年間ベストイレブン Football LAB (2014年12月19日)〕という堅守を築き、クラブ史上最高位での2年連続J1残留に貢献した。 2015年はシーズン序盤はレギュラーを勤めていたが、シーズン中盤に定位置を失い控えに回る。シーズン終了後に名古屋グランパスエイトへ移籍。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荻晃太」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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