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荻村 伊智朗(おぎむら いちろう、1932年6月25日 - 1994年12月4日)は日本の卓球選手。第3代国際卓球連盟会長。 == 人物 == 静岡県出身。都立第十中学校在学中に卓球を始める。その後は東京都立大学に入学し、転学した日本大学芸術学部映画学科を卒業。 1953年に全日本選手権 男子シングルスで優勝すると、1954年のイギリスウェンブリー及び1956年の東京で行われた世界卓球選手権で優勝した。シングルス・ダブルス・混合ダブルス・団体あわせて12のタイトルを獲得。引退後、中国やスウェーデンへの指導など国際的な卓球の普及に努めた。『卓球はチェスをしながら100m走をするようなもの』という言葉を残し、これにジャン=フィリップ・ガシアン(フランス)は共感した。 後に日本卓球協会常任理事となり、後藤鉀二会長と共に1970年に訪中。周恩来とも会談し、1971年の世界卓球選手権名古屋大会への中国復帰に尽力した〔。 1987年に第3代国際卓球連盟(ITTF)会長に就任。国際卓球連盟会長として1991年に開催された第41回世界卓球選手権千葉大会では、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国による統一コリアチームの出場を実現させた(同大会では女子団体で統一コリアが優勝している)〔。ITTF会長と同時に兼任していた日本オリンピック委員会(JOC)国際委員長としては1998年の長野冬季オリンピック招致に尽力した〔〔荻村伊智朗、世界卓球選手権で優勝 昭和毎日(毎日新聞社)文中参照〕。 また彼は卓球のイメージアップを図り、青い卓球台の導入、ラージボール卓球の開発、普及も行った。 また祖父が長野県木曽郡楢川村出身であった縁もあり、1995年に楢川村の名誉村民に推挙されている〔広報しおじり 2007年1月1日号 長野県塩尻市〕。また塩尻市では毎年、荻村伊智朗を記念して楢川荻村杯オープン卓球大会を長野県卓球連盟の主催などで開催している。 1994年12月4日、肺がんにて死去。。没後の1997年に田中利明、松崎キミ代、江口冨士枝らと共に世界卓球殿堂入りを果たした。ジャパンオープン卓球選手権大会が荻村の死後に荻村杯国際卓球選手権大会に改称され、国際卓球連盟公認プロツアー公式戦として開催されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荻村伊智朗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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