翻訳と辞書
Words near each other
・ 荻村伊知朗
・ 荻村杯
・ 荻村杯国際卓球選手権大会
・ 荻江節
・ 荻江露友
・ 荻沢俊彦
・ 荻津郁夫
・ 荻洲立兵
・ 荻浜村
・ 荻清誉
荻生北渓
・ 荻生小学校
・ 荻生徂徠
・ 荻生徂徠墓
・ 荻生待也
・ 荻生村
・ 荻生茂卿
・ 荻生観
・ 荻生駅
・ 荻田伍


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

荻生北渓 : ミニ英和和英辞書
荻生北渓[おぎゅう ほっけい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おぎ]
 【名詞】 1. kind of plant 
: [せい, なま]
  1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed 
: [きた, ほく]
 (n) north

荻生北渓 : ウィキペディア日本語版
荻生北渓[おぎゅう ほっけい]
荻生 北渓(おぎゅう ほっけい、延宝元年(1673年)- 宝暦4年1月20日1754年2月11日))は、江戸時代中期の儒学者は初め玄覧、後に(かん)、通称惣七郎叔達。生前に日本国内で刊行されたのは『官准刊行明律(訓点本明律)』のみで、実兄の荻生徂徠の著名性に隠れる形で知られていないものの、室鳩巣と並ぶ江戸幕府8代将軍徳川吉宗のブレーンとして活躍した。
== 経歴 ==
初め、父の後を継いで医師として吉宗に仕えたがすぐに顧問として重用され、紅葉山文庫に出入りして吉宗の諮問に回答する役目を担い、「名家叢書」と呼ばれた吉宗と学者たちとの問答で今日最も多く残されているのが北渓による「荻生考」であった。同文庫にあった『唐律疏義』と、幕命で山井崑崙の『七経孟子攷文』の校訂を行った。両書はともに後にに伝わって現地にて刊行された。
また、吉宗の命令で清朝探事の質問文を作成したとされている。また、彼の『明律』(律令法)研究は、吉宗の享保の改革にも反映されたと言われている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「荻生北渓」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.