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莫護跋(呉音:まくごば/もごばち、漢音:ばくこばつ/ぼこはつ、拼音:Mòhùbá 生没年不詳)は、魏代の鮮卑族の大人(たいじん:部族長)。慕容部の始祖。子は慕容木延。慕容廆の曽祖父にあたる。 == 生涯 == 魏の初め、莫護跋は諸部を率いて遼西に入居する。 景初2年(238年)、司馬懿の公孫淵討伐に功があって率義王を拝命され、棘城の北に建国する。 時に燕,代の地方では歩揺冠(歩くと揺れる冠)をかぶる者が多く、莫護跋はこれを見て気に入り、髪をまとめて歩揺冠をかぶったので、諸部は彼のことを歩揺と呼ぶようになり、その後音が訛って、慕容となった。 彼の死後は、息子の慕容木延が後を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「莫護跋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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