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菅井 きん(すがい きん、本名;佐藤 キミ子、旧芸名・旧姓名;須斎 キミ子、1926年2月28日 - )は、日本の元女優である。血液型はB型。身長155cm、体重45kg。特技は三味線。仕事所属。 == 来歴・人物 == 東京府東京市牛込区(現:東京都新宿区)早稲田町出身。頌栄高等女学校卒業。第二次世界大戦末期から終戦直後まで、徴用逃れで文部省総務課・東京帝国大学学生課で事務職員として勤めていた。しかし演劇への情熱が捨てられず、劇団俳優座に入団し舞台に立つ。芸名の「菅井きん」は、本名(当時は旧姓)をもじったものであり、新劇時代の恩師である脚本家の久保栄に付けてもらった〔菅井の自著「わき役ふけ役いびり役」では菅井一郎にちなんだものと推測している。〕。「東大の事務職員を辞めて、本格的に女優になりたい」と父に相談したところ、「女優とは美しい女性がなるものだ」と反対され、舞台を見ることなく1971年ころに死去している〔『徹子の部屋』1979年12月13日での発言。〕。新劇時代に映画監督に映画女優としてスカウトされ、1951年に『風にそよぐ葦』で映画デビューの後、数々の映画、テレビに出演。今や日本の演劇・テレビドラマには欠かせない名脇役となった。 1954年、東宝特撮映画『ゴジラ』に代議士の役で出演しているが、翌1955年の川島雄三監督作品『愛のお荷物』(日活)にもほとんど同じ格好をした野党の議員役で登場した。 1973年、『必殺仕置人』の主要人物・中村主水を「ムコ殿!」といびる姑・中村せん役で出演。その後も必殺シリーズ(主水シリーズ)には必ず登場、シリーズを語る上で欠かせない存在となり、この役で現在の地位を築く。が、この役があまりに有名になり、「せん役のイメージのせいで、娘の縁談に支障が出る」と降板を願い出たことがある(無事に娘は結婚したため、降板願いは撤回された。詳細はこちらも併せて参照)。 下町の古い住宅街でひょいと勝手口から裏通りに顔を出し、隣近所に「若いんだから頑張んなさいよ、アッハッハ」と相手の腕を叩いて別れるような、そんな豪快な母親役がハマり役といわれ、藤商店「鍋のつゆ」などのCMにも出演した(が、「料理は大の苦手」とのこと)。 1994年には『家なき子』での「鬼婆演技」が話題になった。 夫は映画『砂の器』『八甲田山』などに携わった元俳優座映画放送プロデューサーの佐藤正之で、流産を経験後に佐藤との間に一女を儲けた。佐藤が亡くなった1996年以降は娘夫婦と一緒に暮らしており、既に曽孫もいる〔菅井きんが認知症で「要介護3」 特別養護老人ホームに入所 女性セブン2014年6月12日号〕。 80代に入ってからも女優業を精力的にこなし、2008年に製作された映画『ぼくのおばあちゃん』では82歳にして映画初主演を果たし、世界最高齢映画主演女優としてギネスに申請し認定された〔菅井きんギネス認定女優「ピンと来ない」 〕〔Oldest actress in a leading role 〕。 しかし2010年に映画『瞬 またたき』に出演したのを最後に、女優としての活動を停止、約4年間公の場に姿を見せなかった。菅井によると、2010年に自宅で転倒して大腿骨を骨折してしまい、以来自分の足では歩けなくなったためであるとのこと。リハビリに努めてはいるものの、仕事復帰は諦めていると語っている〔「菅井きん「認知症」報道に反発 」デイリースポーツオンライン、2014年10月2日。〕。活動休止の間、週刊誌で菅井の知人による情報として「菅井は重度の認知症を患っており、現在は特別養護老人ホームに入居している」「芸能界を引退したわけではなく、リハビリを行い体力が戻れば仕事復帰も考えている」などと報道されたが〔、2014年10月2日にフジテレビの情報番組『ノンストップ!』に出演し4年ぶりに公の場に元気な姿を見せ、「認知症」である事を否定した。〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菅井きん」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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