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菅原 リサ(すがわら りさ, 1977年8月15日 - )は、日本の体操指導者で、元選手。埼玉県戸田高校、日本体育大学体育学部体育学科卒業。現姓は豊島〔NPO戸田スポーツクラブ 〕。 == 来歴・人物 == 埼玉県戸田市出身。父は1974年、テヘランで開催されたアジア大会の体操男子団体の銀メダリスト、母は1972年の全日本選手権で優勝しミュンヘンオリンピックの代表にも選ばれたというほどの体操一家に生まれる。小さい頃からの遊び場が、体操場と言うだけあり、地元の戸田市スポーツセンターで本格的に体操を始めたのは小学校1年生の頃からだという。 1993年、地元の埼玉県立戸田高等学校に進学。2年生となった翌1994年、NHK杯で初タイトルを獲得。同時に日本女子体操のエースであった小菅麻里の大会5連覇を阻止した。 1996年に戸田高校卒業後は日本体育大学に進学。その年から1998年まではNHK杯3連覇を記録。また、全日本選手権では、1996年から1999年までの4連覇を含む5回の優勝を果たしている。特に1996年の全日本は同じクラブの後輩でもある大畠佑紀との同点優勝となった〔このようなケースは2006年の全日本で上村美揮、鶴見虹子(共に朝日生命体操クラブ所属)が記録している〕。ちなみに全日本を母子で制したのは、史上初〔2013年に笹田夏実(母親は笹田(旧姓・加納)弥生)が母子制覇を達成。男子だと相原信行、豊、塚原光男、直也親子が記録〕。 国際大会でも日本代表として活躍。大学進学の年にアトランタオリンピック代表として出場。アジア大会では、1994年の広島大会では団体総合で銀メダルと種目別のゆかで銅メダル、1998年のバンコク大会では前回に続いて種目別のゆかで銅メダル、ユニバーシアードでは1997年(シチリア)で、種目別のゆかと平均台で金メダルを獲得した。 ライバル小菅ともども1990年代の日本女子体操をエースとしてリードしてきた。しかし大学在学中怪我を負ったことが原因で、バンコクアジア大会以降低迷が続いた。このため、1999年の中日カップを最後に引退した〔ただしこの時は選手としてではなく、競技終了後に行われたエキシビションに出場している〕。その後、オーストラリアでのコーチ留学を経て、現在は自らの原点となった戸田市スポーツセンターで後進の指導にあたっている〔両親も同じ戸田市スポーツセンターのコーチであり、親子2代で選手・コーチという経歴を持つ〕。指導は非常に厳しいようで、大会では失敗を犯した選手を叱責する様子がしばしば見られる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菅原リサ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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