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菅原 智恵子(すがわら ちえこ、1976年8月15日 - )は、宮城県気仙沼市出身の女子フェンシング選手。宮城クラブ所属。2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピック代表。気仙沼市立条南中学校、宮城県気仙沼高等学校(旧鼎が浦高等学校)、日本体育大学体育学部体育学科卒業。身長163cm。体重56kg。 == 経歴 == 中学まではソフトボールをしており、高校からフェンシングを始めた〔。運動能力の高い選手である。 2004年のアテネオリンピックでは2回戦で敗退した。 2007年のフェンシング世界選手権フルーレ団体では、女王バレンチナ・ベッツァーリを下し、日本初となる銅メダルをもたらした。 2008年の北京オリンピックのフルーレに出場、2回戦では第5シードのを6-5で破り準々決勝に進出、準々決勝では南賢喜に10-15で敗れたものの7位に入賞した。日本人選手がオリンピックにおいて個人で入賞したのは初めてのことであった。 北京オリンピック後にナショナルチームを離れ、地方公務員として宮城県の高校教諭(体育教員)に復職。気軽に出場した全日本フェンシング選手権大会で2008年から4連覇を果たす。2011年に日本フェンシング協会からコーチとして招かれナショナルチームに復帰、6月には選手として復帰した。 2012年3月のワールドカップブダペスト大会に平田京美、西岡詩穂と共にフルーレ団体で出場、初戦でドイツに敗れた。 2012年6月、ロンドンオリンピック日本代表に選出〔。ロンドンオリンピックではフェンシング女子フルーレ個人で7位入賞。気仙沼市市民栄誉賞受賞(2012年8月)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菅原智恵子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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