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菅原 資忠(すがわら の すけただ、承平6年(936年) - 永祚元年10月5日(989年11月6日))は、平安時代中期の貴族。右大臣・菅原道真の曾孫で、左少弁・菅原雅規の子。官位は従四位下・右中弁 == 経歴 == 菅原氏は古人から6代続けて文章博士や得業生、大学頭を務めた学問の家である。天暦10年(956年)以前に大学に入り〔『日本紀略』天暦10年11月21日条〕、秀才に及第する〔『尊卑分脈』〕。康保5年(968年)6月19日に課試の宣旨を下されている〔『類聚符宣抄』康保5年6月19日条〕。この当時の官位は文章得業生、正六位上・美濃権少掾。 文章博士、右中弁、大学頭、内記、勘解由次官を歴任。和泉・周防・因幡・淡路国司務め、位階は従四位下に昇った。 寛和元年(985年)に、伊勢斎宮・規子内親王の奉迎使に任ぜられる〔『日本紀略』〕。永祚元年(989年)、右中弁で頓死〔。享年54。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菅原資忠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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