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菅原 雅兼(すがわら まさかず、男性、1974年8月1日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロボクサー。第33代OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者。松田ボクシングジム所属。 == 来歴 == アマチュアで49勝(25RSC)11敗の成績を残した後、1996年7月2日に2ラウンドKO勝ちでプロデビュー。 しかし2戦目でKO負け、3戦目で負傷引き分け。その後しばらくは勝利を重ねるが、 9戦目で後の日本スーパー・フェザー級王者キンジ天野こと天野欽二に判定負けを喫すると、 以降は2試合連続ドローと、必ずしも順風満帆なスタートではなかった。 地道にキャリアを積むことで実力を付け、徐々にジムの有力選手としての存在感を増していく。 8連勝の後1引き分けを挟み、2002年11月24日、当時日本人選手相手に無敵を誇り「日本人キラー」と 呼ばれていた東洋太平洋バンタム級王者ジェス・マーカとのノンタイトル戦に臨む。 結果は僅差の判定勝ちであったが、それは明らかな地元判定によるもので、敗れたマーカは リング上で苦笑い、勝者であるはずの菅原が悔し涙を流すという後味の悪さを残した。 マーカ戦以降も勝利を続け、2005年2月20日、国見泰央を判定に下して東洋太平洋スーパーバンタム級王座を獲得。2005年6月26日、ウェタヤ・サクムアンクランを迎えた初防衛戦で、 3ラウンドTKO負けにより王座を失う。その試合を最後に現役引退。 現在は、名古屋市内にあるフィットネスボクシングクラブ「マルゲリータ」の会長を務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菅原雅兼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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