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菅沼 周次郎(すがぬま しゅうじろう、1876年(明治9年)12月15日 - 1963年(昭和38年)12月26日)は、明治時代~昭和時代の日本の海軍軍人、教育者。長崎県佐世保市の西海学園高等学校の創立者である。 ==生涯== 旧平戸藩士菅沼量平の二男として長崎県松浦郡平戸(現平戸市)に生まれる。兄は平戸派南進論者として知られた菅沼貞風で、幼時よりその指導を受けた。 兄の死後、海軍兵学校(26期)に進み海軍入り。日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦に従軍。 1924年(大正13年)に少将・佐世保鎮守府人事部長を最後に退官した後、佐世保市助役に推されたが辞退し当時佐世保に無かった男子の進学できる私立普通中学の創設を志した。退官翌年の1925年(大正14年)、「西海中学」(のちの西海学園高等学校)を佐世保市八幡町に開校。校名と校章は当時の佐世保鎮守府司令長官伏見宮博恭王より下賜を受けた。 第二次世界大戦の終戦直後の1945年(昭和20年)9月30日、理事長及び校長を辞任。戦後は学園経営は長男や久池井虎男(のち佐世保市議会議長、西海学園理事長)らに任せ創立者として後見した。 1963年(昭和38年)12月26日死去。従四位勲三等功五級。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菅沼周次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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