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菅沼定盈 : ミニ英和和英辞書
菅沼定盈[すがぬま さだみつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぬま]
  1. (n,n-suf) swamp 2. bog 3. pond 4. lake 

菅沼定盈 : ウィキペディア日本語版
菅沼定盈[すがぬま さだみつ]

菅沼 定盈(すがぬま さだみつ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将大名。野田菅沼氏3代目当主。上野阿保藩主。
== 生涯 ==

=== 家督相続から今川氏との戦いまで ===
天文11年(1542年)、菅沼定村の子として誕生。
はじめ、駿河国遠江国戦国大名今川義元に仕え、弘治2年(1556年)に父・定村の戦死により家督を継いだ。永禄3年(1560年)5月の桶狭間の戦いで義元が戦死した後は、従兄弟の西郷清員と共に三河国松平氏(後の徳川氏)に帰属した。ところが永禄4年7月29日1561年9月18日)、今川方から野田城を攻囲されると、定盈らは抗いきれず勧告を受け入れて開城降伏。やむを得ず隣郡八名郡の親戚・西郷氏の許へ逃れて雌伏した。
雪辱の機は早くに訪れ、永禄5年6月2日1562年7月13日)に野田城を夜襲。城代稲垣氏俊を討ち果たし、残存兵を退散させたため奪回できた。ただし、野田城の損壊は軽微では済まず、防御力の劣る大野田城を手直しした上で仮本拠と定め、同時に野田城の修築にも努めることとなった。
三河から今川勢を一掃し、さらに遠江攻め入りを画策する徳川家康の意向を酌み、永禄11年(1568年)には遠江侵攻に先立って敵方の懐柔工作に携わり、遠江引佐郡井伊谷の同族・菅沼忠久の調略に成功している。同年12月からの遠江侵攻に従軍、井伊谷の南方・刑部城攻略で功を挙げた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「菅沼定盈」の詳細全文を読む




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