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菅舜英[すが しゅんえい] 菅 舜英(すが しゅんえい、明治5年(1872年)10月19日- 昭和31年(1956年)5月27日)は石川県羽咋郡生まれの僧侶、大正、昭和時代の社会主義者、後に国家社会主義に転向。 == 来歴・人物 == 井上円了の東京哲学館、東京神学院で学び、西本願寺北海道開教の僧侶として渡道。本山特命布教使として各地で布教講演を行う。 日露戦争で従軍布教使として従軍し、乃木希典大将に講話を披露。以後、シベリア出兵などで中国、ロシアへ度々渡る。勇払郡安平村(現・安平町)安立寺住職に就いてからは、言論出版に精を出す。個人雑誌「同志」「浄土」「他力」などを発行し、新聞雑誌への論文投稿も数多い。 交友関係は広く、本願寺の改革運動で知り合った赤松克麿とも親しく、赤松のすすめで社会民衆党公認で衆議院議員選挙に戦前だけで3度立候補している。当初はロシア革命に共鳴して社会主義を唱えたが、赤松と行動を共にするなかで次第に右傾化し、日本国家社会党、国民協会、日本革新党の結党などに参画している。1937年(昭和12年)の国政選挙では、赤松が北海道から出馬する手引きをし、選挙事務長を務めた。 若きアイヌ活動家辺泥和郎は菅の思想に影響を受けたという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菅舜英」の詳細全文を読む
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