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菊地常夫 : ミニ英和和英辞書
菊地常夫[きくち つねお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きく]
 【名詞】 1. chrysanthemum 
: [ち]
  1. (n,n-suf) earth 
: [とわ, じょう]
  1. (adj-na,n) eternity 2. perpetuity 3. immortality
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

菊地常夫 : ウィキペディア日本語版
菊地常夫[きくち つねお]
菊地 常夫(きくち つねお、1949年6月11日 - )は、将棋棋士。2008年、引退。廣津久雄九段門下。棋士番号は119。静岡県熱海市出身。
== 棋歴 ==
10歳のとき、同級生から将棋を教わる〔平成10年版「将棋年鑑」〕。
奨励会への入会は1965年。当時は、ライバルの有野芳人と1日100局指すという熱の入れようであった〔「将棋世界」2000年1月号付録〕。
1969年度後期から旧制度の三段リーグ(奨励会A組)で指すが、同制度が廃止されるまでの9期・4年半、四段昇段(プロ入り)をすることができなかった。この間、奨励会員であるにもかかわらず、第15回(1971年度)古豪新鋭戦で優勝している。
その後、三段で12勝3敗を記録し、1975年6月19日に26歳でプロ入りを果たす。
プロ1年目(1975年度)は、第15期十段戦と第24回王座戦で一次予選を突破、第3回名棋戦でベスト8進出、第2期棋王戦丸田祐三 を破るなどして、上々のスタートを切る。
当時、名人戦順位戦の主催紙が朝日新聞社から毎日新聞社に移行する関係で、順位戦が1977年度に再開されるまで待たされる。その間、菊地(棋士番号119)と同時昇段の伊藤果(同118)から松浦隆一(同132)まで15人が次々とプロ入りする。その中には、中学生の谷川浩司(同131)や後にタイトルを獲る田中寅彦(同127)もいた。これにより、C級2組の人数は19名から33名に膨れ上がった。
しかし、菊地は初参加の第36期C級2組順位戦(当時の名称は「昇降級リーグ戦4組」)で10戦全勝の成績を収め、1期でC級1組へ上がる。また、この1977年度には、全棋戦を通して27勝・7割近い勝率を挙げる。
第1期(1988年度)竜王戦5組で師匠の廣津を破るなどして3位となり、4組へ昇級。
1996年度には全棋戦を通して16勝を挙げ、久々に勝ち越す。
1998年に順位戦でフリークラスへ陥落。以降10年間、順位戦に復帰することができず、2008年に引退となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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