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菊地 直哉(きくち なおや、1984年11月24日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身のプロサッカー選手。Jリーグ・サガン鳥栖所属。登録ポジションはミッドフィールダーだが、本職の守備的ミッドフィールダーのほか、センターバックや左右両サイドバック等、守備的なポジションはどこでもこなすユーティリティープレイヤーである。 == 来歴 == 小学1年生からサッカーを始める。各年代の日本代表に選出され、世界大会での活躍はヨーロッパのクラブでも評価された。清水商業高校1年時にはジュニアユース時代に所属した清水エスパルスに特別指定選手として帯同した。3年時にはオランダのエールディヴィジに所属するフェイエノールトの練習に参加し入団目前までいったが、条件が折り合わず破談となった。 高校卒業後はジュビロ磐田に入団。2005年途中に出場機会を求めてアルビレックス新潟へ期限付き移籍。同年10月1日に開催された第26節(対戦相手: 川崎フロンターレ)では、交代枠を使い切った後にゴールキーパーの野澤洋輔がゴールエリア外でハンドを取られて退場処分となったため、急遽ゴールキーパーを務めるという経験もした〔試合日程・結果 2005 J LEAGUE DIVISION 1 第26節 vs 川崎フロンターレ アルビレックス新潟公式サイト 2013.3.25 12:58 (UTC) 閲覧〕。 2006年、磐田に復帰。2007年6月13日、当時15歳の女子生徒に対するわいせつ行為で逮捕され〔ジュビロ磐田の菊地直哉 淫行容疑で逮捕 AFPBB News、2007年6月14日〕、起訴猶予処分となった後の6月29日、ジュビロ磐田から解雇された〔ジュビロ磐田 菊地直哉の解雇処分を発表 AFPBB News、2007年6月29日〕。7月5日、日本サッカー協会により1年間の国内選手登録停止処分が下された〔ジュビロ磐田・菊地選手1年間の選手登録停止 ウィキニュース、2007年7月6日〕。 2007年9月にドイツへ渡り、2008年1月27日にドイツ・ブンデスリーガ2部のFCカールツァイス・イェーナと契約。イエーナが3部に降格した2009年もチームに残り、6月まで約1年半プレーした。 国内選手登録停止処分が解けた2009年8月、イエーナから大分トリニータに完全移籍。国内リーグでは2年ぶりのプレーとなった。加入後すぐに主力に定着し、12月21日にはアジアカップ最終予選・イエメン代表戦に向けた若手中心のA代表に初招集された。また、2010年には大分トリニータ後援会が投票で選ぶMVPに選出され、同年12月18日の練習後に行われた移籍挨拶には急な開催にもかかわらず約300名のサポーターが集まった。 2011年、アルビレックス新潟に完全移籍。この年はリーグ序盤戦に左ひざ内側側副じん帯損傷で全治2か月の重傷を負ったが〔菊地 直哉選手の負傷について アルビレックス新潟公式サイト 2011年5月4日配信。〕、復帰後はレギュラーに定着した。 2012年はチームの副キャプテンに就任した。黒崎久志、上野展裕(監督代行)両監督が指揮を取ったシーズン前半は主力としてプレーしたが、柳下正明監督就任後の第23節で控えに回ると、それ以降のリーグ戦で出場機会はなかった〔選手出場記録 アルビレックス新潟 2012Jリーグ ディビジョン1 Jリーグ公式サイト 2013.3.25 12:46 (UTC) 閲覧〕。 2013年7月、サガン鳥栖へ期限付き移籍〔【13/07/23】菊地直哉選手 アルビレックス新潟より期限付き移籍加入のお知らせ サガン鳥栖公式サイト 2013年7月23日配信。〕。2014年より完全移籍〔【13/12/19】菊地直哉選手 アルビレックス新潟より完全移籍加入のお知らせ サガン鳥栖公式サイト 2013年12月19日配信。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菊地直哉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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