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菊川昭二郎 : ミニ英和和英辞書
菊川昭二郎[きくかわ しょうじろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きく]
 【名詞】 1. chrysanthemum 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [に]
  1. (num) two 

菊川昭二郎 : ウィキペディア日本語版
菊川昭二郎[きくかわ しょうじろう]

菊川 昭二郎(きくかわ しょうじろう、1945年2月7日 - )は、長崎県出身のプロ野球選手。右投右打で、ポジションは主に遊撃手
== 来歴・人物 ==
鎮西学院高校から1963年近鉄バファローズに入団。1967年には内野のユーティリティプレイヤーとして一軍に定着する。
しかし1968年清俊彦トニー・ロイとのトレードで、高木喬と共に西鉄ライオンズへ移籍。ここでは1年目から、守備が良く足も速い内野手として頭角をあらわす。1970年には、黒い霧事件に連座して野球活動禁止処分を受けた船田和英に代り遊撃手のレギュラーとなる。翌年は復帰した船田に定位置を奪われるが、1972年には船田がヤクルトアトムズに放出され、同年はチャンスメーカーとして活躍、初めて規定打席(17位、打率.276)にも達した。翌年は梅田邦三が遊撃手に回ったため、主に三塁手として122試合に出場。14年間プレーしたが規定打席に到達したのはこの2年間だけだった。1974年にはドン・ビュフォードの内野転向もあり、出場機会が減る。
1975年吉岡悟とのトレードでロッテオリオンズに移籍。ここでは指名打者や代打として起用されたが、1976年限りで引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「菊川昭二郎」の詳細全文を読む




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