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菊池三渓(きくち さんけい、文政2年(1819年) - 明治24年(1891年)10月17日)は江戸時代後期から明治にかけての漢学者。通称は純(紀)太郎、角右衛門。名は純。字は子顕。別号は晴雪楼主人、鉄屏書屋主人。 和歌山藩儒の家系に生まれ、江戸幕府奥儒者に抜擢されたが、政変のため下総国に退隠し、明治初年まで常総諸藩を点々とした後、東京や京都で著述活動を行った。 == 生涯 == === 幕臣時代 === 文政2年(1819年)紀伊国和歌山藩儒菊池梅軒の子として生まれた〔福井辰彦「ある儒者の幕末 ―菊池三渓伝小孜―」『論究日本文學』第89号、立命館大学、2008年8月〕。菊池家は代々紀州徳川家に仕え、曽祖父菊池衡岳の代より儒学をもって仕えた〔。 安政5年(1858年)10月、徳川家茂が征夷大将軍に就任した時、成島柳北に代わって侍講に抜擢され、江戸に移った〔。安政6年(1859年)12月14日小納戸となり、文久3年(1863年)3月家茂に従い上洛し、8月9日小十人頭格奥儒者に抜擢されたが、元治元年(1864年)6月22日政変のため小十人頭八番組に左遷され、8月18日六番組に移り、9月30日辞職した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菊池三渓」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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