|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 菊 : [きく] 【名詞】 1. chrysanthemum ・ 池 : [いけ] 【名詞】 1. pond ・ 三 : [み] 1. (num) three
菊池 慎三(きくち しんぞう、1887年(明治20年)11月30日〔「単行書・国勢院引継書類(十ノ一)・退官退職転任履歴書・総裁官房」。〕 - 1943年(昭和18年)4月11日〔『新編日本の歴代知事』177頁。〕)は、日本の内務官僚、陸軍司政長官。官選秋田県知事、地方行政の専門家〔。 ==経歴== 愛媛県西宇和郡二木生村(現西予市)出身。同村長・菊池俊逸の長男として生まれた。小学校卒業後、独学で普通試験に合格〔。さらに1911年11月、文官高等試験行政科試験、同年12月、弁護士試験に合格。1912年4月、内務省に入省し内務属・大臣官房秘書課勤務となる〔〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』199頁。〕。 以後、佐賀県理事官、静岡県理事官、軍需局書記官、国勢院書記官、拓殖局書記官・第二課長、内務省参事官、福井県警察部長、帝都復興院調査課長などを歴任〔〔。1921年5月から1922年4月まで欧米に出張した〔。 1929年7月、秋田県知事に就任。当時大幅な赤字であった県財政を立て直すため、経費の削減を進めた〔。1930年6月に知事を辞任し退官〔〔。その後、東京市助役、横浜市助役を歴任〔。1942年3月7日、第25軍軍政部付・セランゴール州長官に就任し〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』137頁。〕、同月17日、陸軍司政長官に任じられた〔『官報』第4555号、昭和17年3月18日。〕。1943年4月、シンガポールでの会議からの帰途に自動車事故で殉職した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菊池慎三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|