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菊池持朝 : ミニ英和和英辞書
菊池持朝[きくち もちとも]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きく]
 【名詞】 1. chrysanthemum 
: [いけ]
 【名詞】 1. pond 
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

菊池持朝 : ウィキペディア日本語版
菊池持朝[きくち もちとも]
菊池 持朝(きくち もちとも、応永16年(1409年) - 文安3年7月28日1446年8月20日))は、菊池氏の第19代当主。第18代当主・菊池兼朝の子。官位は従四位下肥後守。子に菊池為邦菊池為安(孫に第23代当主政隆)・詫摩為房宇土為光木野相直(子に親則、第26代当主義武は親則の曾孫)。
肥後菊池氏当主では唯一、足利将軍からの偏諱を賜り、足利義持の一字により初め持武(もちたけ)、のち持朝と名乗る〔『朝日日本歴史人物事典』(コトバンク所収)「菊池持朝 」の項(執筆:阿蘇品保夫)より。 〕。
永享2年(1431年)、父との対立により、父・兼朝を追放し家督を継ぐ。持朝は時勢を見ることのできない兼朝と異なり、動乱の九州地方で幕府方の立場を示し、大内氏と結んで少弐氏大友氏と対立した。室町幕府も菊池氏に筑後国の守護職を与えて大友持直を討伐させようと目論んでおり〔『満済准后日記』永享3年7月17日条〕、永享5年(1434年)に持朝は筑後守護職に任ぜられる〔『満済准后日記』永享5年3月6日条〕が、翌年の大友氏討伐には失敗している。
また持朝は父・兼朝の後ろ盾を得て反抗をしていた実弟の菊池忠親を自殺に追い込み、一族の統制を強めて、惣領の権威強化に邁進した。肥後国の有力国人である宇土城宇土忠豊の後嗣として、子の為光を送り込み、勢力の拡大に腐心する。しかし文安3年(1446年)に38歳の若さで病死する。跡を嫡男・菊池為邦が継いだ。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「菊池持朝」の詳細全文を読む




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