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菊田 俊介(きくた しゅんすけ、1966年9月8日 - )は、日本のギタリスト、歌手、作曲家、音楽ライター。栃木県宇都宮市出身。 ブルースの将軍の愛称で親しまれ、ブルースを中心にロック、ソウル、ジャズ、ファンクなど幅広いジャンルで活躍している。 ==略歴== 1966年 栃木県宇都宮市に生まれる。クラシックギターを弾いていた父親の影響で音楽に目覚め、10歳でギターを手にする。小学3年から高校3年まで野球部に所属した野球少年でもあった(高校で半年だけラグビー部に所属)。子供の頃の憧れは、王貞治と江夏豊。 クラシック、フォーク、フュージョン、ハードロック、ヘビー・メタルなど多方面の音楽に影響を受け、宇都宮高校1年時にはプロ・ミュージシャンになる事を決意。当時大きな影響を受けたギタリストは、エディ・ヴァン・ヘイレン、スティーブ・ルカサー(トト)、ニール・ショーン(ジャーニー)、ゲイリー・ムーアら。 宇都宮高校3年時の担任に「アメリカの音楽がやりたいのなら、アメリカに行って勉強したほうが本物が身に付くんじゃないのか?」と言われ、アメリカ行きを模索する。 高校卒業後、武蔵野音楽学院で1年の留学準備期間を経て、 1986年 ボストンのバークリー音楽大学留学。バークリー1年目に、BBキングの「Live at The Regal」を聞いて衝撃を受け、ブルースに目覚める。 1990年 バークリー卒業と同時に、ブルースの都と呼ばれるシカゴへ。日本食レストランでバイトを始めるも2か月でクビになり、知り合いになったミュージシャンに勧められてストリート・ミュージシャンから音楽活動を開始。 ローザズ・ラウンジのオーナー、トニー・マンジューロの推薦で、ルイス・マイヤーズ・バンドの日曜ライブに参加。以降ジョニー・リトル・ジョン、ローリー・ベル、トミー・マクラッケン、ビッグ・タイム・サラなどのバンドで活動する。 1991年 「CHICAGO BLUES NIGHT」(GBW)にてCDデビュー。 1992年 CHICAGO BLUES NIGHT BANDで1か月に及ぶイタリア・ツアーへ。サルデニア島のロッシーロッシ・フェスティバルででBBキングの前座をつとめる。 1994年 「FUNKY BLUES」 Frank Collier band featuring Shun Kikuta and Junior Wells、また「TRIBUTE TO MAGIC SAM」(共にキング・レコード)でプロデュースとギターで参加。メジャーデビュー。 シカゴのソルジャーフィールドで行われたワールドカップ・サッカーの決勝トーナメント 、ドイツ対ベルギー戦の試合後に同スタジアムで出演。 1995年 初のリーダー作「THEY CALL ME SHUN」(キング・レコード)を発表。オーティス・ラッシュ、ジュニア・ウェルズなどのシカゴ・ブルースの大物がゲスト参加。同年ジュニア・ウェルズの全米、カナダツアーに参加。シカゴの以外のメジャーなブルースシーンを初めて体験した貴重なツアーだったと菊田は回想している。 1996年 2枚目のリーダー作「CHICAGO MIDNIGHT」(キング・レコード)を発表。”ブルースの女王”ココ・テイラーがゲスト参加。 1997年 東京新宿のパークタワー・ブルースフェスティバルに出演し、JWウィリアムスや鮎川誠、石川二三夫らと共演。 1997年 「LIVE!!THE 3RD PARK TOWER BLUES FESTIVAL ’96」(キング・レコード)を発表。 「TRIBUTE TO MAGIC SAM」が、アメリカのエヴィデンス・レコーズより全米発売される。 2000年 ネリー”タイガー”トラヴィスをゲストに迎え「HEART AND SOUL」(M&Iカンパニー) を発表。ジャパン・ブルース・カーニバルに出演。 ”ブルースの女王” ココ・テイラーのバンド ”ザ・ブルース・マシーン” のレギュラーメンバーに抜擢される。 2003年 アメリカのTV番組「An evening with B.B.King」のバンドリーダーに抜擢され、BBキングと共演。 史上最大のブルース・ドキュメンタリー映画、マーティン・スコセッシ監督が総指揮をとるThe Bluesシリーズに出演する。 2006年 ローリング・ストーンズに捧げたアルバム「RESPECT THE STONES」(ジェネオン・エンタテインメント)に参加。 グラミー賞にノミネートされたココ・テイラーのアルバム「OLD SCHOOL」に参加。 2007年 ソロ・アルバム「RISING SHUN」(Yotsuba Records)をリリース。 2008年 ココ・テイラーとのツアー中にウィスコンシン州ブラックフォールズ・リバーで起きた大事故で、顔面左半分を4カ所骨折し、さらに右足の付け根から脱臼する重傷を負う。2か月間の静養期間を経て演奏活動に復帰。 12月にはジョージ・ブッシュ大統領らが見守る中で、Kennedy Center Honorsに出演。クリント・イーストウッドから”Shogun of the blues(ブルースの将軍)"と紹介される。 2010年 シカゴデビュー20周年を記念したツアーを日本の3都市で行い、近藤房之助、木村充揮、鮎川誠、清水興、ichiro、鮫島秀樹、Nacomi、Brown Blessed Voiceなどがゲスト出演。 2011年 シカゴ・ミュージック賞をJ.Wウィリアムス&シャイタウン・ハスラーズのメンバーとして受賞。同バンドと青森で行われたジャパン・ブルース・フェスティバルに出演。 フィリピン、マニラのCCP Jazz Festival、インドネシアのジャカルタ・ブルース・フェスティバル2011にメインアクトの一人として出演。 2012年 シカゴ・ブルース・フェスティバルのメインステージにココ・テイラー・トリビュートの一員で出演。 2013年 キング・レコードからベスト・アルバム「BEST OF SHUN’S BLUES」をリリース。 フラワー・トラベリン・バンドの篠原信彦、和田ジョージ、ナニワ・エキスプレスの清水興、ヴォーカルのシュトウケンイチと”Legend of Rockers”を結成。ゲストに山本恭司(BOWWOW)、加納秀人(外道)、ROLLY、GAKUを迎える。 6月にはキング・レコードより Legend of Rockersの「POWER IN MY ARMS」をリリース。 台湾の金曲奨受賞歌手、李婭莎-sashaのアルバムに楽曲提供、プロデュースも手がける。 2015年 ヘンリー・グレイとエディー・ショウをフューチャーしたLegends Of Bluesに参加、フジロック・フェスティバル、東京ブルーノートに出演。 台湾の金曲奨受賞歌手、以莉高露(イーリーカオルー)のアルバムに参加、アレンジも手がける。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菊田俊介」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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