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菊西 繁樹(きくにし しげき、1878年(明治11年) - 1945年(昭和20年))は、大阪生田流(菊筋)箏曲家、野川流三絃家。本名は中西定吉。 兵庫県西宮生まれ。酒樽製造を営む中西武右衛門の六男として生まれる。幼児病気で失明し、箏・三絃を西宮の叔父西原検校から手ほどきを受け、のち大阪の二代菊仲検校に師事、1897年(明治30年)免許皆伝、1914年(大正2年)に大検校となった。菊塚与市が兄弟子、菊仲米秋が弟弟子にあたる。宮城道雄を三味線の弟弟子にあたる二代中島検校に紹介した。 神戸市花隈の自宅で多くの弟子を養成、菊茂琴昇、菊端園子、菊艶操山がその門下。 兵庫県箏絃連盟初代会長。長女麻子に幼少の折から芸道を伝えていたが、1936年(昭和11年)37歳で死去。四女菊西正子がその後を継いでいる。名代「九つ折」を始め楽器の蒐集でも知られていたが、神戸大空襲で全て焼失。 余技として、八雲琴・バイオリンも弾いた。芝居・野球等に出かけたり、山登りも好きで琴屋の若いものに連れて行って貰っていた。 1945年(昭和20年)急性心臓麻痺で死去。成就院大検校菊西繁樹居士。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菊西繁樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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