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菊西繁樹 : ミニ英和和英辞書
菊西繁樹[きくにし しげき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きく]
 【名詞】 1. chrysanthemum 
西 : [にし]
 【名詞】 1. west 

菊西繁樹 : ウィキペディア日本語版
菊西繁樹[きくにし しげき]
菊西 繁樹(きくにし しげき、1878年(明治11年) - 1945年(昭和20年))は、大阪生田流菊筋)箏曲家、野川流三絃家。本名は中西定吉。
兵庫県西宮生まれ。酒樽製造を営む中西武右衛門の六男として生まれる。幼児病気で失明し、箏・三絃を西宮の叔父西原検校から手ほどきを受け、のち大阪の二代菊仲検校に師事、1897年(明治30年)免許皆伝、1914年(大正2年)に大検校となった。菊塚与市が兄弟子、菊仲米秋が弟弟子にあたる。宮城道雄を三味線の弟弟子にあたる二代中島検校に紹介した。
神戸市花隈の自宅で多くの弟子を養成、菊茂琴昇菊端園子菊艶操山がその門下。
兵庫県箏絃連盟初代会長。長女麻子に幼少の折から芸道を伝えていたが、1936年(昭和11年)37歳で死去。四女菊西正子がその後を継いでいる。名代「九つ折」を始め楽器の蒐集でも知られていたが、神戸大空襲で全て焼失。
余技として、八雲琴・バイオリンも弾いた。芝居・野球等に出かけたり、山登りも好きで琴屋の若いものに連れて行って貰っていた。
1945年(昭和20年)急性心臓麻痺で死去。成就院大検校菊西繁樹居士。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「菊西繁樹」の詳細全文を読む




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