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菊麿王妃範子(きくまろおうひのりこ、1878年(明治11年)12月4日 - 1901年(明治34年)11月11日〔山階会『山階宮三代 下』P349より〕)は、日本の皇族。山階宮菊麿王の先妃。旧摂家、公爵・九条道孝の二女。貞明皇后は同腹の妹である。 == 略歴 == 1895年(明治28年)に菊麿王と婚姻。菊麿王との間に武彦王、芳麿王、安子女王をもうけるが、安子女王を出産後の1901年(明治34年)10月31日に、胎盤離脱困難と出血により急性脳貧血に陥る。11月1日午後8時頃より発熱し11月9日に脳症を併発。11月11日午前5時10分に心臓麻痺により薨去した。 11月16日午前10時に、明治天皇と皇后 美子の御使として、宮内書記官の丹羽龍之助が山階宮邸へ遣わされ幣帛、神饌を供する。〔『官報』第5514号、「宮廷録事」1901年11月18日。〕 11月17日午前9時、明治天皇の代拝として侍従の廣幡忠朝を、皇后 美子の代拝として権掌侍の北島以登を、皇太子 明宮の代拝として東宮侍従の大迫貞武を、皇太子妃 節子の代拝として東宮女官の吉見光子を山階宮邸へ遣わす。〔『官報』第5515号、「宮廷録事」1901年11月19日。〕 午後1時に、山階宮邸を出棺し東京都文京区の豊島岡墓地で葬儀が行われる。〔『官報』第5511号、「宮廷録事」1901年11月14日。〕 午後2時に明治天皇より侍従の廣幡忠朝を、皇后 美子より皇后宮亮の山内勝明を、皇太子 明宮より東宮侍従の大迫貞武を、皇太子妃 節子より東宮職御用掛の錦小路在明を墓所に遣わし玉串を供せる。午後5時30分に葬儀が済まされた。〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菊麿王妃範子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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