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華 佗(か だ、? - 建安13年(208年))〔110年頃生まれ207年頃洛陽で亡くなったとも書かれる。オールドリッジ また、他にも、140年生まれ、141年生まれ、145年生まれ、等の説がある。〕は、中国後漢末期の薬学・鍼灸に非凡な才能を持つ伝説的な医師。〔オールドリッジ〕本籍は沛国譙県(現在の安徽省亳州市。また河南省永城市という説もある) 。「華陀」とも書く。なお、「華佗」とは「先生」を意味する尊称が人名として用いられたもの。字は元化。諱は不明〔『魏書』華佗伝に引く裴松之の言では、華旉(教化を敷く意義)で、字の元化(大いなる教化の意義)と関連があり、そのため諱は「旉」または「尃」が正しいと述べている。〕。高き医徳を積みつつも権力に屈する事を拒んだ事から非業の死を遂げたとされる。 ==経歴== 徐州で学問し『経書』を学んだ。陳珪により孝廉に推挙されたり、黄琬に招聘されたりしたが、出仕しなかった。養性の術に通暁しており、当時の人々は彼の年がもう百歳になる筈だとしたが、見たところは若々しかった。また、華佗は医術や薬の処方に詳しく、麻酔を最初に発明したのは華佗とされており、「麻沸散」と呼ばれる麻酔薬を使って腹部切開手術を行ったという。そのため、民衆から「神医」と呼ばれた。また、屠蘇や「五禽戯」〔虎・鹿・熊・猿・鳥の5種類があり、華佗の弟子の呉普がこれを実行していたところ、90歳になっても丈夫な体を保てたという(『後漢書』方術伝)。〕と呼ばれる体操健康法(導引)の発明者とも言われている。 その評判を聴いた曹操の典医となり、持病であった頭痛や目眩の治療に当たっていた。しかし、華佗は自分が士大夫として待遇されず、医者としてしか見られないことを残念に思っていた。これは当時の医者の社会的地位が低かったためである。そこで、帰郷の念が募って、医書を取りに行くといって故郷に戻って、その後は妻の病気を理由に二度と曹操の下に戻って来ようとはしなかった。曹操が調べた結果、妻の病気は偽りと判明したので、これに怒って華佗を投獄し、荀彧の命乞いも聴かず、拷問の末に殺してしまった。華佗は死ぬ直前に、持っていた1冊の医療書を牢番に与えようとしたが、罰を恐れた牢番が断ると自らの手で焼き捨ててしまった。曹操は名医で頭痛を治せる唯一の人物であった華佗を殺してしまった事、またその事により庶子ながら、その才気煥発な面を愛していた曹沖を治療する事ができず、夭折させてしまった事を、後々まで後悔したと言われている。 『三国志』華佗伝や『後漢書』方術伝には、彼の行った数々の治療や診断の例が記録されている。 *陳登を診察した際、陳登の好物だった膾から感染した寄生虫が胃に巣くっていると診断した。治療として煎じ薬を2升作って半分ずつ飲ませ、寄生虫を吐き出させた。華佗は3年後に再発すると言い、果たしてその通りになったが、その時華佗やそれに代わる医者がおらず、陳登は死んでしまった。 *李通の妻が重病にかかると、流産した胎児が残っているためと診断した。李通は胎児はもう降りたと言ったが、華佗は胎児は双子で、一人が残っているのが病因と診断し、果たしてその通りだった。 *県の役人の尹正が、手足が熱っぽく、口の中が乾いて、人の声を聞くと苛立ち、小便が通じない、という症状に悩まされていた。華佗は熱いものを食べ、汗が出れば平癒するが、出なければ3日で泣きながら絶命すると診断した。尹正は熱いものを食べたが汗は出ず、果たして診断通りの死に方をした。 *軍の役人の李成が咳に苦しんで、時に血膿を吐いていた。診察した華佗は病原は肺ではなく腸炎と診断し、さらに18年後にちょっとした再発があるからと、その分も合わせて粉薬を出した。その5・6年後、李成の親類に同じ症状になった者がいたので、李成の親類は後で華佗から貰って来るからと李成に頼み、予備の薬を融通してもらった。親類は治癒すると、約束通り華佗のいる譙に向かったが、丁度華佗が曹操に捕縛され、薬は手に入らなかった。薬のない李成は、華佗の診察を受けた18年後に病が再発して死んでしまった。 *重病に苦しむある郡守の様子を診たところ、激怒させるのが最も効果的な治療法だと診断する。そして華佗は高額の薬代を貰いながらも治療を行わず、ついには郡守の悪口を書いた手紙を残し去って行った。これに激怒した郡守が数升の血を吐いたところ、すっかり病気は治ってしまった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「華佗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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