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華王錦武志 : ミニ英和和英辞書
華王錦武志[かおうにしき たけし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はな]
 【名詞】 1. flower 2. petal
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 
: [にしき]
 【名詞】 1. brocade 
: [こころざし]
 【名詞】 1. will 2. intention 3. motive 

華王錦武志 : ウィキペディア日本語版
華王錦武志[かおうにしき たけし]

華王錦 武志(かおうにしき たけし、本名:村田 武志(むらた たけし)、1978年9月14日 - )は秋田県仙北郡美郷町(旧同郡仙南村)金沢出身の大相撲力士。東関部屋所属。179cm、163kg。血液型はA型。星座は乙女座。得意技は突き・押し。最高位は西十両6枚目(2011年7月場所)。
== 来歴 ==
仙南中学校時代に相撲部に入部し、1993年(平成5年)の全国都道府県中学生相撲選手権大会、全国中学校相撲選手権大会では団体ベスト8、個人でもベスト8に入っている。秋田県立大曲農業高等学校時代には国体にも出場している。東洋大学に進学し、大学4年次には主将として全国学生選手権(インカレ)団体優勝を果たした。この大会の決勝では垣添率いる日本体育大学を破った。後に当時のこの大会の様子を「団体戦はみんなで盛り上がって楽しむという雰囲気があります。自分の時は4年が1人で、大丈夫だから俺のところまで持って来いと言ったら、準決勝とか決勝は本当に大将まで回ってきました(笑)」と述懐している。〔『相撲』2013年12月号87頁〕大学3年生の頃までは大相撲入りを決断し切れずにいたが、気弱で内向的な性格の高見盛が大相撲に順応して番付を駆け上がっていった様子を見て高見盛と同じ東関部屋への入門を志すようになる。東洋大卒業後の2001年5月場所において部屋で初土俵を踏み、翌年7月場所にいきなり序ノ口優勝を果たす。その後も順調に出世し、わずか1年余りで幕下に昇進した。2004年7月場所では自己最高位の東幕下14枚目に番付を上げたものの1勝6敗と負け越し、それ以降は休場の影響から三段目への陥落もあったものの主に幕下中位から下位に定着していた。2007年5月場所から4場所連続で勝ち越し、2008年1月場所では自己最高位となる東幕下6枚目に番付を上げたが2勝5敗と負け越した。
2010年11月場所において東幕下17枚目の位置で5勝2敗と勝ち越し、続く2011年1月場所でも西幕下8枚目の位置で5勝2敗と勝ち越し、大相撲八百長問題による同年3月場所の中止を挟んで、同年5月技量審査場所では西幕下3枚目の位置で5勝2敗と勝ち越しを決め、翌7月場所において新十両へ昇進した。32歳9ヶ月での新十両は戦後3位となる年長昇進記録で、学生相撲出身では戦後最年長での新十両記録、初土俵から所要60場所での新十両も学生相撲出身力士では史上1位のスロー出世記録となった。秋田県出身の新関取も2003年3月場所の豪風以来丸8年ぶりであった。その7月場所は6勝9敗と負け越し、翌9月場所では右膝半月板損傷のために6日目から休場し、8日目には再出場したものの、9日目の武州山との取組で負傷を悪化させて10日目から再び休場した。
その後幕下上位で相撲を取り続けていたが、2013年1月場所を最後に部屋の関取である高見盛が引退し、入門以来の部屋頭の地位に就くことになる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「華王錦武志」の詳細全文を読む




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