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萩原恪斎 : ミニ英和和英辞書
萩原恪斎[はぎわら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はぎ]
 【名詞】 1. bush clover 2. Lespedeza 
萩原 : [はぎわら]
 (n) reedy field
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [とき]
 【名詞】 1. meals exchanged by parishioners and priests 

萩原恪斎 ( リダイレクト:萩原守道 ) : ウィキペディア日本語版
萩原守道[はぎわら もりみち]
萩原 守道(はぎわら もりみち、1714年6月28日正徳4年5月17日) - 1793年2月28日寛政5年1月18日〔『崎門学脈系譜 三宅尚斎門下』による。〕))は、江戸時代中期の山崎闇斎学派の儒者小笠原流諸礼古実の師範。通称は伴次。萩原恪斎と号した。
== 来歴 ==

*1714年6月28日正徳4年5月17日)、遠江掛川藩儒・萩原周朝(八右衛門)の子息として遠江国掛川に生まれる。母は竹村氏。
*京都宇井黙斎山崎闇斎流の朱子学(闇斎学)を学ぶ。
*1746年11月8日延享3年9月25日)、掛川藩主小笠原長恭の移封に従って陸奥棚倉に移る。
*幼君(小笠原長堯)に侍読する際、ゆえあってこれをきつく諌めたことが発端で咎められて致仕し、以後江戸に住して家塾を開き、小笠原流諸礼の古実などを教えた。
*1782年小笠原長堯が過去を悔いて再び藩へ戻って教授するよう仰せがあったが、「老境にて齢69歳に至り、健康でも無いゆへ」を申し出てこれを固辞した。すると侯は「隠居」待遇にしてもてなし隠居扶持米を永年賜った。
*1789年寛政元年)11月15日、旗本稲生五郎左衛門殿〔稲生正礼旗本上州碓氷郡知行500石)〕長屋に居住していた守道を高山彦九郎が来訪。守道は来訪を喜び暫く語りあったという〔高山彦九郎の『寛政江戸日記』による。〕。
*同年12月24日、26日も高山彦九郎が来訪している。
*1790年(寛政2年)6月3日、再び高山彦九郎が来訪している。
*1793年(寛政5年)1月18日、江戸にて卒去。享年80。墓は江戸駒込龍光寺にあり「萩原伴次源守道之墓」と刻まれている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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