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萩原 美雅(はぎわら よしまさ、寛文9年(1669年) - 延享2年4月4日(1745年5月5日))は、江戸時代中期の旗本(150俵→500石)。通称は善次郎、三左衛門、源左衛門で、官位は従五位下、伯耆守。享年77。父は勘定を務めた萩原久茂。 == 経歴 == 萩原はもと勘定奉行所属の下級御家人であったが、元禄5年(1692年)勘定となり、蔵奉行、勘定組頭を経て、6代将軍徳川家宣らによる正徳の治が始まると、改革を実際に差配した新井白石により登用され、復設された勘定吟味役に就任した。その後、享保元年(1716年)に二丸留守居に転ずるも、享保5年(1720年)に吟味役に復職し、以後、佐渡奉行、長崎奉行、勘定奉行と累進した。 貨幣改鋳事業や、1711年(正徳元年)の朝鮮通信使の江戸来訪の際の東海道から摂津までの道中点検、諸国鉱山の差配や長崎への廻銅政策、幕府による長崎貿易への介入政策など、その活躍は多方面に渡った。1722年(享保7年)には、大井川の治水工事にその手腕を発揮し、構築された500間ほどの堤は、その周辺の人々に源左衛門様堤と呼ばれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「萩原美雅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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