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萩原 遼(はぎわら りょう、1937年(昭和12年) - )は、日本のフリーランスジャーナリスト。北朝鮮報道で知られる。また、渋谷 仙太郎のペンネームで金芝河の詩を翻訳したり、井出 愚樹(いで ぐじゅ)の名義での韓国情勢や文学に関する著訳書もある。日本共産党の永年党員(党員歴30年以上)であったが、除籍された。本人は「不当な除籍であり、取り消しをもとめていく」としている。 == 略歴 == 高知県生まれ。立命館大学元教授の木津川計は実兄。17歳の時に経済的理由から地元の高校を中退して上阪、住み込みの牛乳配達などをして働き、1年後に大阪府立天王寺高等学校定時制に編入〔萩原&井沢 2011、pp.24-27〕。その時に同級生となった在日朝鮮人と親交を深めて、朝鮮語の学習を強く希望し、天理大学朝鮮語学科を受験するも失敗。共産党には18歳の時に入党〔。1963年、26歳の時に、大阪外国語大学に新設された朝鮮語学科に第一期生として入学〔。大学卒業後、『赤旗』(現「しんぶん赤旗」)平壌特派員として勤務(1972年(昭和47年) - 1973年(昭和48年))する。そのとき、1959年(昭和34年)12月14日から始まった帰国運動によって北朝鮮に帰った在日朝鮮人の親友を捜し回ったことが原因で、北朝鮮から国外追放となる。 以後、『赤旗』外信部で勤務するも、日本共産党指導部の路線と合わなくなり、説明もなく赤旗記者を解任される。これを機に1988年(平成元年)末に、赤旗を退職、フリーとなり、アメリカに旅立つ。 このとき、米国公文書館の資料を(朝鮮戦争のとき、米軍が没収した朝鮮労働党と朝鮮人民軍などの資料を3年の歳月をかけて)綿密に調べ挙げ、まとめた作品が『朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀』である。ソ連崩壊後に出てきた資料よりも前に、北朝鮮だけの資料に基づき、朝鮮戦争が北から仕掛けたということを明らかにした。 1994年(平成6年)2月、1960年から84年にかけて日本から北朝鮮に帰国した10万人の在日朝鮮・韓国人と日本妻(夫)達の悲惨な現状を救おうと、小川晴久元東京大学教授、金民柱元朝鮮総連幹部らとともに北朝鮮帰国者の生命 (いのち) と人権を守る会を結成。現在に至る。1999年には『北朝鮮に消えた友と私の物語』で第30回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。 「赤旗」退職後から“元赤旗特派員”の肩書きで共産党を繰り返し誹謗したという理由で、党規違反により2005年(平成17年)除籍。萩原は著書などで金正日政権と日本共産党の関係を批判する等していたため北朝鮮拉致事件が話題を集め東京都議会選挙目前のタイミングでの除籍は物議をかもした。士別市の政治活動家国忠崇史と親交がある。 2010年(平成22年)、「星へのあゆみ出版」から、朝鮮学校で使われている高級学校と中級学校の歴史教科書を日本語に翻訳したものを出版。朝鮮学校を「虚偽を教育の柱としている機関」「教育に政治を持ち込んでいるのは朝鮮総連」と批判し、保守派とともに朝鮮学校への日本の公費助成に反対している。その後、在日朝鮮学校への授業料無償化を阻んだのをはじめ、東京、大阪、埼玉などの各県で、あいつぐ朝鮮学校への公費助成廃止の動きに発展した。 2014年3月、胃がん宣告を受ける。これを機に、守る会の名誉代表を辞任。同時期に朝鮮総連と闘うための雑誌「拉致と真実」を発刊開始。次号は、今春に発刊予定。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「萩原遼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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