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萬弘寺の市 : ミニ英和和英辞書
萬弘寺の市[まんこうじのいち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まん]
  1. (num) 10,000 2. ten thousand (used in legal documents)
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [し]
  1. (n-suf) city 

萬弘寺の市 : ウィキペディア日本語版
萬弘寺の市[まんこうじのいち]
萬弘寺の市(まんこうじのいち)は大分県大分市坂ノ市にある萬弘寺の門前で行われる市である。大分県三大市の1つ。例年5月18日から5月24日の7日間催され、期間中土曜日の未明には暗闇の中での物々交換市が行われる。
==縁起==

* 6世紀頃(伝承では用明天皇元年10月)に皇子(用明天皇)が密かに九州筑紫国日向国)を巡幸した際、日向~内山(現在の豊後大野市三重町内山観音)にて滞在の後、深田(現在の臼杵市深田)を経て、白山を越え 御所峠より 尾田川沿いに下り 王ノ瀬より海路都を目指す矢先、難病を患い 安万郡(海人部)日吉邑(現在の大分市坂ノ市)に茂る大椨(タブノキ)の木陰にて休息することとなった。重篤となった皇子を看病する間 一行は滞在することとなった。
白山頂の岩鞍岩座(白山神社)にて修験行脚の途にあった豊国法師(求菩提山修験行者)が 灰石に薬師如来像を彫り 守本尊として 玉体加持(祈祷)を行った。豊国法師(とよのくにのほうし)による加持祈祷は幾日幾夜にも及び 後に皇子の病状は回復し 無事都へと召喚され 皇位を継承し用明天皇誕生となる。
日吉邑での御所一行の滞在に 見物大衆が集まり 貨幣制度未発達のなか漁民農民諸衆其々に地産交換の市が立ったとされる。これを機に市が恒例となり 後世に繋がる。また山岳修験行者の法力に感銘を受けた皇子は豊国法師を都へと召喚した。以来皇室守護となる。
また聖徳太子に命じ日吉邑に聳える椨の大木を切り払い (製材して)日の光を浴びる大地を拓き( 金道川と尾田川に挟まれた扇状地) 大伽藍、重搭を含む大寺院建立を十数年の歳月をかけて創建することとなった。ゆえに萬弘寺は皇室所縁の 十六枚菊花紋を拝している。
また、豊国法師率いる求菩提修験者(修験僧)も十六枚菊花紋に山を拝した市松柄衣躰(装束)を許される。
(求菩提山資料館)(英彦山修験資料館)

* 用明天皇の死後、聖徳太子が父天皇の菩提を弔う為に萬弘寺大伽藍を建立する(596年造営開始-604年完成)。門前には市が開かれ、日吉浜で獲れた海の幸、丹生台地で穫れた山の幸などの取引が物々交換の形で行われるようになった。7世紀中には既に定期市としての体裁を成していたとされる。
* 940年前後に発生した藤原純友の乱において萬弘寺は略奪・破壊を受ける。寺の再建と共に市も復活。
* 応永年間に大友氏第11代大友親著により精舎が再建され、現在の本尊である聖観世音菩薩像が安置される。この観音菩薩の縁日が現在の市の開催期間である。
* 1586年には島津氏が来襲し寺は全焼。後に再建されるも荒廃した状態が続き、江戸時代には廃寺の扱いを受ける。
* 近代になって宗派は創建当時と異なるものの寺としての機能を回復。
市も現在と同じく年1回の祭事として行われるようになる。
*近代 入梅前の農耕閑期(5月)に農工具、雨具、鍛冶、細工、瀬戸唐津など売り買いの市へと移行したと伝えられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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