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葉山 富之輔(はやま とみのすけ、1889年7月31日 - 没年不詳)は、日本の俳優である〔キネマ旬報社、p.471-472.〕〔''葉山富之輔''、日本映画データベース、2012年11月22日閲覧。〕〔''葉山富之輔''、KINENOTE、2012年11月22日閲覧。〕〔''葉山富之輔''、日活データベース、2012年11月22日閲覧。〕。本名白米花 富三郎(しらはせ とみさぶろう)〔〔。 == 人物・来歴 == 1889年(明治22年)7月31日、京都府京都市に生まれる〔〔。 旧制・高等小学校を卒業したのち、家事を手伝っていた〔。1900年代には、そのうち演劇を志して、角藤定憲門下に入門する〔。新派畑を歩み、藤間小次郎の一座、帝国キネマ演芸の「実演第一劇団」、村田栄子の一座等で関西地区を巡業した〔。 1926年(大正15年)2月、日活大将軍撮影所現代劇部に入社、同年11月12日に公開された、佐藤円治主演、三枝源次郎監督の『勇敢なる水兵』で佐藤の父親役を演じ、満37歳で映画界にデビューした〔。以降、現代劇部から時代劇部に移り、多くの剣戟映画に出演した〔。1942年(昭和17年)1月27日、戦時統合によって大映が設立され、日活京都撮影所は大映京都撮影所となり、葉山は同社に継続入社する〔〔。 第二次世界大戦後も引き続き同撮影所に所属、1949年(昭和24年)に定年退職する〔。その後は、フリーランスとして、同撮影所を拠点として多くの京都地区で製作される時代劇に出演した〔〔〔。1958年(昭和33年)、満69歳で引退した〔〔〔。『日本映画俳優全集・男優編』によれば、『勇み肌千両男』(監督倉橋良介)を最後に引退した旨の記述があるが〔、同作の公開日は同年2月26日であり、同年8月3日に公開された酒井辰雄監督の『呪いの笛』のほうが、公開日は遅い〔〔。以降の出演記録はなく、消息もわからないが、『日本映画俳優全集・男優編』によれば、同誌が執筆・発行された1979年(昭和54年)において、すでに死去していると認識されている〔。没年不詳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葉山富之輔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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