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葉山 峻(はやま しゅん、1933年5月1日 - 2010年3月13日)は、日本の政治家。元藤沢市議会議員、元藤沢市長(通算6期)、衆議院議員(通算2期)。父は戦前からの日本共産党の活動家で藤沢市議会議員を務めた葉山又三郎。母は作詞家で藤沢市議会議員を務めた葉山冬子。長男はフジテレビジョン所属のドラマ演出家である葉山浩樹、娘婿は藤沢市議会議員の柳田秀典。 == 概要 == 神奈川県藤沢市出身。「峻」という名前は当時共産党の活動家であった父又三郎に対してあまりに峻烈な拷問が加えられたことから名づけられたという。藤沢市第三国民学校(現藤沢市立鵠沼小学校)から旧制の神奈川県立湘南中学校に入学。学制改革により新制の神奈川県立湘南高等学校を卒業(同期に石原慎太郎、江藤淳がいる。)早稲田大学中退。 1958年、父の後を継いで藤沢市議会議員を務めていた母冬子が死去し、後を推される形で被選挙権を得たばかりの25歳で藤沢市議会議員選挙に出馬し、全国最年少議員として初当選。日本社会党の会派に所属し、党内外で若手の論客として注目を浴びる。 1968年に藤沢市長選挙に出馬。この時点で連続4期・通算20年市長の座にあり、高齢多選批判の出ていた現職の金子小一郎を開票途中までリードしたが、革新陣営分裂が響き惜敗する。金子が引退した1972年に再出馬し当選。以後、6期連続当選を果たす。市長在任中は文化都市を標榜し、昆明市との姉妹都市締結や日本初の市民オペラ「藤沢市民オペラ」の公演、藤沢市独自の奨学金制度など福祉の充実や湘南ライフタウン事業などを完成させた。 全国革新市長会会長を務め、飛鳥田一雄や長洲一二らと共に神奈川の革新系首長の代表格としても知られた。1996年の藤沢市長選挙に出馬せず、民主党から第41回衆議院議員総選挙に出馬することを表明。比例南関東ブロックから出馬し当選を果たす。以後2期連続当選。環境政策に力を注ぎ、民主党神奈川県連代表などを務めた。 2003年の第43回衆議院議員総選挙には出馬せず引退を表明した。2004年に、藤沢市名誉市民、松本市名誉市民、昆明市名誉市民を授与された。 2010年3月13日午前8時2分に、肺炎のため藤沢市の病院で死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葉山峻」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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