|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 葉 : [よう, は] 【名詞】 1. leaf ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 純 : [じゅん] 1. (adj-na,n) pure 2. innocent 3. chaste ・ 之 : [これ] (int,n) (uk) this ・ 助 : [すけ] (n) assistance
葉山 純之輔(はやま じゅんのすけ、1902年1月26日 - 没年不詳〔『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年、「葉山純之輔」の項。〕)は、日本の俳優である。本名は田中 慶一(たなか けいいち)〔、初期には葉山 純之助(読み同)と表記していた〔#外部リンク、「葉山純之輔」、日本映画データベース、2009年11月13日閲覧。〕。 == 人物・来歴 == 1902年(明治35年)1月26日、東京府東京市芝区(現在の東京都港区芝)に「田中慶一」として生まれる〔。 1920年(大正9年)、旧制・開成中学校(現在の開成高等学校)を卒業する〔。満24歳を迎える1926年(大正15年)、松竹キネマの松竹蒲田撮影所に入社する〔。入社第1作は、斎藤寅次郎監督の森野五郎主演作品『桂小五郎と幾松』であった〔。同年、斎藤監督の『噫河野巡査』で初主演する〔。同年、吉野二郎監督の『清水次郎長全伝』で小政を演じ、認められた〔。 1928年(昭和3年)、河合プロダクション(のちの河合映画製作社)の設立に参加し〔、同社の町屋撮影所で製作された悪麗之助監督の『ふくろう組』に出演した〔。同年、丘虹二監督の『天保水滸伝』で主演、村越章二郎監督の『水戸浪士』等に主演し、大河内傳次郎に似た風貌から、「16ミリ大河内」と呼ばれた〔。1932年(昭和7年)に主演した根岸東一郎監督の『新聞記者』は、現代劇での初主演である〔。河合映画のナンバーワンスターとなった〔が、1933年(昭和8年)、多摩川撮影所(現在の角川大映撮影所)を建設した日本映画に引き抜かれる〔。同年、葉山映画聯盟を設立〔、映画製作を開始、2作の主演作を製作、新興キネマが配給した〔。 1934年(昭和9年)、京都に移り、日活京都撮影所に入社〔、尾形十三男監督、沢田清主演の『血涙上意討ち』に出演した〔。翌1935年(昭和10年)、稲垣浩監督の『千両礫』で大河内傳次郎主演作に出演したのを最後に〔、マキノ正博(のちのマキノ雅弘)のマキノトーキー製作所設立に参加〔、翌1936年(昭和11年)1月、陣容を発表した際に「技芸部男優」として名を連ねている〔 『映画渡世 天の巻 - マキノ雅弘自伝』、マキノ雅弘、平凡社、1977年、p.246、p.280、p.338-374.〕。入社第1作は、久保為義・マキノ正博共同監督による『白浪五人男』で、月形龍之介、沢村国太郎、原駒子らと共演した〔。同年、久保・マキノ共同監督による『次郎長裸旅』、マキノらが監督した『修羅八荒』で主演した〔。翌1937年(昭和12年)4月、同社は解散となり、マキノ正博が監督した『花婿百万石』に出演したのを最後に〔、松竹下加茂撮影所に移籍した〔。同社では「A級の脇役」と位置づけられた〔。 第二次世界大戦後、1946年(昭和21年)、溝口健二監督の『歌麿をめぐる五人の女』 を最後に映画界を引退した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葉山純之輔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|