翻訳と辞書
Words near each other
・ 葉桜 (曖昧さ回避)
・ 葉桜 (曲)
・ 葉桜が来た夏
・ 葉桜と魔笛
・ 葉桜の季節に君を想うということ
・ 葉梨信行
・ 葉梨康弘
・ 葉梨新五郎
・ 葉梨村
・ 葉楚ソウ
葉楚傖
・ 葉気管支
・ 葉治英哉
・ 葉治英裁
・ 葉温
・ 葉渭渠
・ 葉漢
・ 葉焼け
・ 葉煙草
・ 葉煙草一厘事件


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

葉楚傖 : ミニ英和和英辞書
葉楚傖[よう, は]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よう, は]
 【名詞】 1. leaf 

葉楚傖 ( リダイレクト:葉楚ソウ ) : ウィキペディア日本語版
葉楚ソウ[よう そそう]

葉 楚傖(よう そそう)は清末から中華民国にかけてのジャーナリスト・政治家。中国同盟会以来の革命派人士で、ジャーナリストとして活動する。後に中国国民党国民政府)の政治家となり、西山会議派の一員として反共右派の立場をとった。原名は宗源卓書
== 事跡 ==

=== ジャーナリストへの道 ===
父は秀才の家庭に生まれる。葉楚傖自身も当初は学問を志し、県試・府試に合格したが、院試には落第した。1903年光緒29年)、上海南洋公学に入学し、さらに潯渓公学に移った。しかし数ヶ月で学生デモにより同公学は解散されてしまう。その後の葉は、革命派の思想に傾倒するようになる。1904年(光緒30年)、蘇州高等学堂に入学したが、学校の監督者との対立から学堂を去る。
まもなく、葉楚傖は広東省汕頭に移って、従兄が主筆を務めていた『中華新報』に入る。そして、病気の従兄の代理として主筆をつとめた。1909年宣統元年)春に中国同盟会に加入すると、『中華新報』を舞台に、反清・革命派の宣伝に従事している。1911年(宣統3年)に『中華新報』は発禁処分を受けた。しかし葉は、すぐに『新中華報』として復刊し、さらにそれまでの主張を宣伝し続けた。
同年10月、辛亥革命が勃発すると、葉楚傖自身も革命派の軍に加入し、清朝の軍隊との戦闘に参加した。戦後は再びジャーナリストに戻り、上海で創刊された『太平洋日報』、『民立報』(于右任邵力子らが創刊)に加わって、袁世凱批判の論陣を張った。また、柳亜子らの南社にも加入している。1913年民国2年)の二次革命(第二革命)の敗北とともに、『民立報』は廃刊に追い込まれた。しかしその後も、葉は『生活日報』などで小説・詩文等を書いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「葉楚ソウ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.