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葉 荃(よう せん)は中華民国の軍人。滇軍(雲南軍、雲南派)の軍人で、後に国民軍でも高級指揮官をつとめた人物である。字は香石。 == 事跡 == 日本に留学し、東京振武学校を経て陸軍士官学校第6期で学んだ。このとき、中国同盟会に加入している。帰国後は安徽講武堂総弁、川軍(四川軍)教練処幇弁、川軍第64標標統を歴任した。 中華民国成立後、葉荃は黔軍(貴州軍)第1師師長兼警衛第4団団長となった。1915年(民国4年)12月、護国戦争が勃発すると、護国軍第5軍総司令に任ぜられている。1917年(民国6年)の張勲復辟後に、駐粤(広東)滇軍(雲南軍)第5軍総司令となった。後に雲南に戻り、雲南派指導者・唐継尭から靖国軍第8軍軍長に任ぜられ、四川省方面へ出撃している。 1921年(民国10年)1月、雲南へ引き返してきた葉荃は唐継尭への不満からクーデターを起こす。しかし、唐の側もこの動きは察知しており、葉は敗北して孫文(孫中山)を頼り広東へ逃亡した。なお偶然にも、葉の同僚で靖国軍第1軍軍長の顧品珍が、この好機にやはりクーデターを起こし、唐継尭を一時雲南から追放している。 広東では孫文から将校団団長兼左翼総指揮に任ぜられている。1923年(民国12年)2月3日、葉荃は中国国民党本部軍事委員会委員となった。1925年(民国14年)、馮玉祥率いる国民軍に加入し、国民軍第3軍副軍長兼第2師師長に任ぜられている。 1927年(民国16年)、蒋介石の招聘に応じて、葉荃は国民革命軍総司令顧問官兼滇川黔三省労軍使に任命された。1931年(民国20年)2月、国民政府により監察院監察委員に任ぜられている。1937年(民国26年)に引退・帰郷し、寺院で禅を学んだ。 1939年(民国28年)6月、死去。享年60(満59歳)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葉セン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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