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葛原妙子 : ミニ英和和英辞書
葛原妙子[くずはら たえこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くず]
 【名詞】 1. (Japanese) arrowroot 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [みょう]
  1. (adj-na,n) (uk) strange 2. unusual 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

葛原妙子 : ウィキペディア日本語版
葛原妙子[くずはら たえこ]
葛原 妙子(くずはら たえこ、1907年(明治40年)2月5日 - 1985年(昭和60年)9月2日)は、歌人、編集者、潮音社友、日本歌人クラブ会員、女人短歌会会員。現代歌人協会発起人。南日本新聞歌壇選者。現代短歌女流賞選考委員。
東京出身。父、外科医の山村正雄、母、つね。東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鴎高等学校)卒業。夫の葛原輝は外科医。長女は児童文学者の猪熊葉子美智子皇后とも親しかった。
新写実の世界を切り拓いた女流歌人の代表者の一人として戦後の歌壇に大きな影響を与えた。
日常のうちに「見てはならぬものを視、聞いてはならぬものを聴きだし」(菱川善夫)、その景色を自ら「表現の我儘についてゆるし得る限界」とする破調の歌に詠むその歌風から、「現代の魔女」「球体の幻視者」(中井英夫)、「幻視の女王」(塚本邦雄)と称される。
== 略歴 ==

*1907年(明治40年) - 東京市本郷区に生まれる。
*1910年(明治43年) - 父母兄妹と別れ他家に預けられる。
*1924年(大正13年) - 東京府立第一高等女学校卒業。
*1926年(大正15年) - 東京府立第一高等女学校高等科国文科卒業。
*1927年(昭和 2年) - 葛原輝と結婚。
*1939年(昭和14年) - 潮音社友となり、太田水穂四賀光子に師事。
*1944年(昭和19年) - 三児をかかえて長野県浅間山山麓に疎開し越冬。
*1945年(昭和20年) - 帰京。母つねの死を人づてに知る。
*1947年(昭和22年) - 父正雄の死を看取る。
*1948年(昭和23年) - 女人短歌会創立、会員となる。森岡貞香を知る。
*1950年(昭和25年) - 第一歌集『橙黄』を上梓。釋迢空中井英夫に対面。
*1954年(昭和30年) - 第三歌集『飛行』を上梓。
*1956年(昭和31年) - 現代歌人協会の発起人に加わる。室生犀星に対面。
*1957年(昭和32年) - 「原牛」を『短歌研究』に発表。塚本邦雄に対面。
*1960年(昭和35年) - 第五歌集『原牛』を上梓。
*1963年(昭和38年) - 第六歌集『葡萄木立』を上梓。
*1964年(昭和39年) - 日本歌人クラブ賞受賞。
*1970年(昭和45年) - 第七歌集『朱霊』を上梓。
*1971年(昭和46年) - 迢空賞受賞。
*1974年(昭和49年) - 三一書房から『葛原妙子歌集』が刊行。
*1977年(昭和52年) - 第八歌集『鷹の井戸』を上梓。
*1978年(昭和53年) - 第四歌集『薔薇窓』を上梓。
*1981年(昭和56年) - 季刊短歌誌「をがたま」の創刊、編集発行者となる。
*1982年(昭和57年) - 塚本邦雄が花曜社から『百珠百華』を刊行。(2002年、砂子屋書房から再刊。)
*1983年(昭和58年) - 「をがたま」を終刊し作家活動を終える。
*1985年(昭和60年) - 長女葉子からカトリックの洗礼を受ける。歿

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「葛原妙子」の詳細全文を読む




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