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葛山 氏広(かつらやま うじひろ)は、戦国時代の武将。駿河葛山氏当主。伊勢宗瑞(北条早雲)の三男とする説〔黒田基樹・池上裕子説〕と宗瑞の次男・北条氏時の子(すなわち宗瑞の孫)とする説がある〔有光友學説〕。いずれにしても、後北条氏の一族とされている〔有光友學「葛山氏の系譜」『戦国史料の世界』岩田書院、2009年(原論文:1986年)〕。 駿河国東部の国人領主・葛山氏の養子となって葛山氏の家督を継いだ。宗瑞の側室に葛山氏の娘がいたといわれ、彼女が母だったため葛山氏の養子になった可能性が高いといわれている。 大永4年(1524年)正月に家臣関孫九郎に所領を与えているのが初見。葛山氏は今川氏に従属しており、氏広も駿府に屋敷を構え今川氏に出仕していた。天文6年(1537年)、長兄氏綱と今川義元が争った河東一乱の際には氏綱側に味方している。 同7年(1538年)9月には重病に陥っていたようで、翌8年(1539年)4月には死去が確認されるが、詳しい死亡時期は不明。また生年についても不明だが、本当に早雲の三男ならば、兄氏綱(1487年)から弟長綱(幻庵、1493年、一説に1501年)の間に生まれたことになる。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葛山氏広」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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