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葛西 時清(かさい とききよ)は鎌倉時代中期の武将。鎌倉幕府の御家人。 == 概要 == 葛西氏の第3代(或いは第4代)当主である。系図によって兄弟と男子が入れ替わっていることも多く、葛西氏の詳細な系統には諸説あるが、主な系図では父は葛西清親(きよちか)、或いはその父である葛西清重とされている(後者の中には葛西清親の実弟で、その養子になったとする説もある)。 奥州平泉にて出生する。諱の「時」の字は幕府の執権・北条氏の通字であるので、得宗家(年代的に考えて北条泰時か)から拝領したものと考えられている〔今野慶信は、建治元年(1275年)の「六条八幡宮造営注文」(所収:国立歴史民俗博物館所蔵『田中穣氏旧蔵典籍古文書』)で清親が比較的上位の第21位に位置していること、同文書で「鎌倉中」(=鎌倉に本籍を持つ御家人、この定義は湯浅治久『蒙古合戦と鎌倉幕府の滅亡』〈動乱の東国史3〉(吉川弘文館、2012年)による)として登録される家柄であったことが窺えることから、葛西氏が有力御家人の一つであったとし、更に、紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」(『中央史学』二、1979年)の論考に基づいて、石田悦夫 「戦国大名」(所収:『石巻の歴史 第六巻 特別史編』(宮城県石巻市、1992年))の系譜にある葛西氏当主の実名(諱)に着目し、時清が泰時、清経が経時、宗清(「仙台葛西系図」では清宗)が時宗、清貞(「盛岡葛西系図」では貞清)が貞時から偏諱を受けたとする見解を示している(今野慶信 「鎌倉御家人葛西氏について」(所収:入間田、1998年、P.78-79))。〕。 葛西氏の当主としてはあまり行動が明確ではない人物ではあるが、主に文暦 - 宝治年間の資料において、有力御家人の当主として将軍藤原頼経に随列したことが確認される。時清の跡は葛西清経(きよつね、子または弟)が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葛西時清」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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