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葛西 晴信(かさい はるのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての大名。第15代当主葛西晴胤の子〔。第16代当主葛西親信の弟〔阿部『戦国人名事典コンパクト版』、P238では親信の生年が天文16年(1547年)になるので、この場合は親信が弟となる。〕で養子。葛西氏の第17代当主。 == 略歴 == 伊達氏と手を結んで元亀2年(1571年)と天正元年(1573年)に大崎義隆と戦った〔。外交的にも永禄12年(1569年)に上洛して時の天下人・織田信長に謁見して〔所領を安堵されている。しかし大崎氏との抗争に明け暮れた晴信は、天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐に参陣できず、改易されている。これにより、葛西氏は滅亡したのである。 晴信の死には諸説があり詳しくわかっていない。一説には、改易後に諸国を流浪して、最終的に加賀で慶長2年(1597年)に64歳で死去したという説がある〔。また、『葛西真記録』によれば、秀吉の奥州平定軍に対して徹底抗戦したが衆寡敵せず、寺池城もしくは佐沼城で戦死したという説もある〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葛西晴信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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