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葛貫能隆 : ミニ英和和英辞書
葛貫能隆[つづらぬき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くず]
 【名詞】 1. (Japanese) arrowroot 
: [かん]
 【名詞】 1. kan (approx. 3. 75 kg) 
: [よく, のう]
  1. (adv,n,vs) being skilled in 2. nicely 3. properly 4. well 5. skillfully 6. thoroughly

葛貫能隆 : ウィキペディア日本語版
葛貫能隆[つづらぬき]

葛貫 能隆(つづらぬき/くずぬき よしたか)は平安時代後期の武蔵国の武将・豪族秩父重隆嫡男。河越能隆とも称す。
== 生涯 ==
葛貫別当と称している事から、武蔵国入間郡葛貫(現在の埼玉県毛呂山町)の葛貫、もしくは国衙別当職にあったと見られる。久寿2年(1155年)8月、大蔵合戦で父の重隆が家督を争っていた畠山重能(能隆の従兄弟)らによって討たれ、秩父平氏の本拠であった大蔵は同族の畠山氏が獲得した。能隆のに秩父氏の通字である「重」の字がなく、重能の「能」という字が入っている事から、能隆は父の死後、重能の監視下にあった可能性がある。
大蔵の地を奪われ他所へ移らざるを得なくなった能隆は、嫡男重頼と共に葛貫や河越の地に移り、河越館川越市上戸)を新たな拠点として土地の開発を行い、所領を後白河上皇へ寄進して河越氏の祖となった(父の重隆を祖とすることも多い)。重隆が有していた武蔵国留守所検校職は、能隆が継いだ記録は見られないが、嫡子の重頼に継承されている。
保元物語』には秩父党の戦力として「河越、師岡、秩父別当」の諸氏が見受けられるが、ここで言う秩父別当とは能隆の可能性がある。
飛田政一編『関東諸家系図(2)』では能隆の息子に盛重がおり、その養子に盛直斎藤実盛の孫)がいることになっている。盛重は和田合戦で討ち死にしたことが『吾妻鏡』に記載されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「葛貫能隆」の詳細全文を読む




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