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葛飾 北一(かつしか ほくいつ、生没年不詳)とは、江戸時代後期の浮世絵師。 == 来歴 == 葛飾北斎の門人。紫光斎、形工亭、形工斎と号す。文化(1804年 - 1818年)から文政(1818年 - 1830年)の頃、師の画風に似た肉筆美人画を描いた。「美人図」は遊女が着付けをしている所であろうか淡彩で描かれているが、北斎の影響を受けた、ややいかつい美人図である。北斎期の大柄な美人画に倣っており、北一の署名と、鳥の形の珍しい花押が朱で書かれている。「物思う美人図」は手拭の端を口にくわえ、もう一方の端を左手で引き下げて小首をかしげている。それにつられて右手も左に添えられて女性が立っている姿を捉えている。着物は淡彩風に処理しながらも帯の模様は濃彩で緻密に仕上げ、濃淡の対比の面白さを出している。長襦袢の襟や裾のチリチリとした線は北斎の影響で、プロポーションには伸びがある。落款に形工亭北一とある。また「遊女立姿図」は花魁の一人立ち姿を描いているが、先述の「美人図」にあった大らかさがなくなって人物のプロポーションはかなり萎縮している。衣装模様などには精緻な彩色が施され完成度は高まっている。北斎の画風に刺激されながらも自らの画風を求めて辿りついた一つの形とも見られる。よって北一の画風変遷としては、「美人図」から「物思う美人図」を経て「遊女立姿図」へゆくという過程が考えられる。 肉筆画に葛飾応為との合作がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葛飾北一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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