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葛飾北斎と甲斐国(かつしかほくさいとかいのくに)は、江戸時代後期の浮世絵師葛飾北斎と甲斐国(山梨県)に関する総説。 == 葛飾北斎と甲斐国 == 葛飾北斎(宝永10年(1760年 - 嘉永2年(1849年))は江戸本所(東京都墨田区)に生まれ、安永7年(1778年)に浮世絵師の勝川春章に弟子入りし、浮世絵をはじめ大和絵、洋画、狩野派など多彩な絵画技法を習得し、浮世絵では美人画をはじめ狂歌摺物、読本の挿絵、肉筆画など幅広いジャンルで作品を残している。特に天保元年(1830年)から刊行された『富嶽三十六景』は富士山を主題とした風景画のシリーズで、甲斐国をはじめ各地の名所や風物が描かれている。 一方、甲斐国(山梨県)は本州中部の内陸部に位置し、甲州街道を通じて江戸と結ばれる。江戸前期には甲府藩が存在していたが、享保9年(1724年)に一円が幕府直轄領化され、甲府城下町を中心に町人文化が栄えた。江戸後期には甲州街道や鎌倉往還、駿州往還(河内路)など諸街道の整備や旅の大衆化により江戸をはじめ各地より画家や文人が来訪し、甲斐の名所旧跡に関する絵画作品や紀行文などを残した。 浮世絵師では天保12年(1841年)に人気浮世絵師の歌川広重が甲府道祖神祭礼の幕絵制作のため来訪しており、旅行記である『甲州日記』には甲斐の名所をスケッチしており、作品に活用している。 葛飾北斎は甲斐国を来訪した確実な記録は残されていないが、北斎は壮年期に木更津や名古屋、近畿地方を、晩年には浦賀や伊豆、房総など各地を訪れている旅の記録が残されており、また甲斐国を描いた図が三点含まれる『富嶽百景』広告文によれば、『富嶽百景』は北斎が実際に各地を訪れて実見した風景を描いた記されている。 また、『富嶽三十六景』や『北斎漫画』などの作品には甲斐の名所が多く描かれているが、中には巴山、牛石、大畑山、猪ノ鼻など地元でのみ知られている名物や生業の風景が描かれていることや、構図・モチーフを借用できる先例のない風景を描いていること、実見して速筆で写しとったような描写方法が用いられていることから、甲斐を来訪して実見していた可能性も考えられている〔井澤・宮澤(2012)、p.68(31)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葛飾北斎と甲斐国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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