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葛飾 応為〔「葛」は正確には正字である「(葛#中国語)」が用いられたが、表記システム上の都合により、以降の記述では省略する。同じく「応」は正字「應」が用いられたが、基本的に省略する。〕(かつしか おうい、生没年未詳)は、江戸時代後期の浮世絵師。葛飾北斎の三女。応為は号(画号)で、名は栄(えい)と言い、お栄(おえい、阿栄、應栄とも)、栄女(えいじょ)とも記された。 == 概要 == 北斎には二人の息子と、三人の娘(一説に四人)がいた。三女だった応為は、堤等琳の門人・南沢等明に嫁したが、父譲りの画才と性格から等明の描いた絵の拙い所を指して笑ったため、離縁されてしまう〔。出戻った応為は、晩年の北斎と起居を共にし、作画を続け、北斎の制作助手も務めたとされている〔。応為は不美人で顎が出ていたため、北斎は「アゴ」と娘を呼んでいたという〔。なお、北斎の門人・露木為一による『北斎仮宅写生図』に、北斎と応為の肖像が描かれている(「北斎仮宅之図 」 紙本墨画 国立国会図書館所蔵)。 初作は文化7年(1810年)を下らない時期と推定される『狂歌国尽』の挿絵と見られる〔。同じく北斎の娘と言われる画人・葛飾辰女は、手や髪の描き方が酷似し、応為の若い時の画号で、同一人物とする説が有力である〔久保田(1995)など。美術史家の小林忠もこれを支持している(『江戸の浮世絵』 藝華書院、2009年、p.362、ISBN 978-4-9904055-1-9)。〕。 特に美人画に優れ、北斎の肉筆美人画の代作をしたともいわれる〔。また、春画・枕絵の作者としても活動し、葛飾北斎作の春画においても、彩色を担当したとされる。北斎は「美人画にかけては応為には敵わない。彼女は妙々と描き、よく画法に適っている」と語ったと伝えられている〔。同時代人で北斎に私淑していた渓斎英泉も、自著『旡名翁随筆』(天保4年(1833年)刊)の「葛飾為一系図」で、「女子栄女、画を善す、父に従いて今専ら絵師となす、名手なり」と評している。 晩年は仏門に帰依し、安政2-3年(1855 - 1856年)頃、加賀前田家に扶持されて金沢にて没したともされる。また、北斎没後8年目に当たる安政4年(1857年)に家を出て以来消息不明になったとも伝えられ、家出した際の年齢は67であったという〔。一方で虚心は、『浮世絵師便覧』で慶応年間まで生きている可能性を示唆しており、これらを整合させると、生まれた年は寛政13年(1801年)年前後で、慶応年間に没したことになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葛飾応為」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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