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董 其武(とう きぶ)は、中華民国、中華人民共和国の軍人・政治家。国民革命軍の軍人で、傅作義配下である。中華人民共和国でも軍人として朝鮮戦争に参戦した。 == 事績 == === 傅作義配下へ === 貧農の家庭に生まれる。当初は学問を志して高等小学まで進学したが、1918年(民国7年)、閻錫山率いる山西派の軍事学校である斌業中学に入学し、さらに斌業専門学校に進学した。ところが、在学中に上官に反抗したとして〔上官が董其武の同学に横暴を働いたのを咎めたところ、その上官に逆恨みされたためとされる。〕、退学を余儀なくされている。1924年(民国13年)、胡景翼率いる国民軍第2軍に加入した。1927年(民国16年)、国民革命軍第4軍北伐先遣隊支隊長として軍功をあげた。翌年、天津警備司令傅作義配下となる。以後、その下で順調に昇進していった。 1933年(民国22年)の長城抗戦でも董其武は勇戦し、その功績により第218旅旅長に昇進した。1936年(民国25年)11月、傅作義に随従して蒙古軍・大漢義軍を撃破した(綏遠事件)。翌年からの日中戦争(抗日戦争)でも、日本軍を相手に善戦し、平型関会戦・忻口会戦で軍功をあげた。11月に第101師師長に昇格している。以後も、山西省・綏遠省方面を転戦し、1940年(民国29年)8月、軍功により暫編第4軍軍長に昇進した。翌年夏に騎兵第4軍軍長、1942年(民国31年)に第35軍軍長となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「董其武」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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