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董 璜(とう こう、? - 192年)は、中国後漢時代末期の武将。涼州隴西郡臨洮県の人。父は董擢。叔父は董卓・董旻。 初平元年(190年)、董卓と献帝が長安へ移ると、董璜は侍中・中軍校尉として軍を統率することになった。また、この時に董白も渭陽君として領地を与えられたため、董璜が使者となってその印綬を董白に授与している。初平3年(192年)、董卓が暗殺されると、董璜は董旻ら他の董一族と共に、郿城で部下に惨殺された。 小説『三国志演義』でも、史実と同様に大きな活躍もなく死亡している。 == 参考文献 == *『後漢書』巻72列伝62董卓伝 *『三国志』魏書6董卓伝 *『三国演義』 en:Dong Zhuo#Family 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「董コウ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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