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董 鴻禕(とう こうい)は中華民国の政治家。北京政府で主に教育部門の要人となった。字は達甫、恂士。 == 事跡 == 1900年(光緒26年)とその翌年に、庚子辛丑併科挙人となる。学部候補主事となった後、日本に留学して、早稲田大学で政治・経済を学んだ。卒業後に蔡元培と知り合い、中国同盟会に加入している。 中華民国成立後、北京政府教育総長となった蔡元培の下で、董鴻禕は教育部秘書長に就任する。1912年(民国元年)7月、教育部次長に昇進した。翌年5月、趙秉鈞内閣で代理教育総長となる。段祺瑞臨時内閣を経て、熊希齢内閣の9月まで、その地位にあった。1914年(民国3年)5月には、平政院庭長に就任している。 1916年(民国5年)3月、病没。享年39。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「董鴻イ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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