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葦原 邦子(あしはら くにこ、1912年(大正元年)12月16日 - 1997年(平成9年)3月13日)は、兵庫県武庫郡本庄村字深江(現・兵庫県神戸市東灘区深江)出身の女優。本名は中原 英子(なかはら えいこ)、旧姓は岡本。夫は中原淳一。 == 来歴・人物 == 尼崎市立高等女学校(現・尼崎市立尼崎高等学校)卒業後、1928年に宝塚音楽学校入学、翌1929年、「春のをどり」で初舞台。宝塚歌劇団18期生。宝塚歌劇団トップスターとして活躍。同期生に春日野八千代、冨士野高嶺らがいる。 宝塚歌劇団在団中は「アニキ」の愛称で上級生の小夜福子や同期生の春日野八千代と共に男役として人気を争い、宝塚歌劇団を背負って立っていく。また小夜とともに、宝塚男役の頭髪のショートカット(の慣例化)の先駆けだった。 1934年、東京宝塚劇場開場に際しての杮落とし公演は主演の「花詩集」であった。現在の男役のモチーフや基礎的なスタイル完成には彼女の貢献が大きい。「''男装の麗人''」として長くトップの座を保ったが結婚のため退団・引退。夫である中原との間に2男2女の子がある。 戦後、活動を再開。帝劇オペラやミュージカルからストレートプレイまで幅広く活躍。また、ホームドラマでの温かみのある母親役や祖母役で人気を得る。後年は「咲子さんちょっと」での姑役・「ケンちゃんシリーズ」での祖母役・「虹を織る」での甘味食堂の女主人役など、テレビドラマや舞台で脇役を演じる。 その傍らで、反戦・反核運動(宝塚時代共演が多かった一期下の園井恵子が広島原爆の犠牲になったことに起因)や癌撲滅運動など、社会的活動へも精力的に参加していた。 宝塚への憧憬や愛情は強く、姐御肌の性格であることも重なって、退団後もOGの重鎮として、宝塚へのバックアップを惜しまず行っていたことなどから、同世代から自身の孫世代まで幅広い世代のタカラジェンヌに慕われていた。65期生で退団後芸能活動を続ける前田真里の宝塚時代の芸名葦川 牧(あしかわ まき)は葦原の命名である。 宝塚時代の持ち歌の多さも知られており、『(かつての)宝塚歌劇の音楽性の高さを知って欲しい』と、自身在籍時代の劇中歌ばかりを集めたリサイタルを行い盛況を博すなど、歌手としての活動も多く行っている。また趣味の絵画でも幾度か個展を開き、成功させている。 1989年、勲四等瑞宝章受章。 1997年3月13日、胃癌のため84歳で死去。3年前の1994年に宝塚80周年を見届けたばかりだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葦原邦子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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