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蒋 壱(しょう いつ、生没年不詳)は、三国時代の呉の将、蒋欽の長子。 父が関羽討伐の後に病死した際、孫権は領民二百戸と田地二百をもって、蒋壱と弟の蒋休、彼等の母の面倒を看たといわれる。 その後蒋壱は宣城侯に封ぜられ、父の軍勢を受け継ぎ呉の将として仕え、劉備が関羽の仇討ちのために攻めてきた際(夷陵の戦い)には、蜀(蜀漢)軍の攻勢を防ぐ功績を立てた。 また、魏の曹丕が呉に攻め込んで来た時にも、それを迎え撃つため迎撃軍に従軍したが、そのまま陣中で病死してしまったという。 彼には実子がいなかったため、弟がその後を継ぎ軍勢を受け継いだが、後年、罪を犯して資産を失っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蒋壱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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