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蒋 孝勇(しょう こうゆう)は中華民国の実業家、政治家。蒋経国と蒋方良の末子。同母兄姉に蒋孝文、蒋孝武、蒋孝章。異母兄に蒋孝厳(現・台湾立法委員)と章孝慈がある。蒋友柏は長男。 == 人物 == 国共内戦中の上海に生まれ、生後間もなく家族とともに台湾への移住を余儀なくされた。 兄たちに比べ謙虚な性格であり、父に最も似ていると言われた。一方で周囲の人間からは、表面上の穏健さとは裏腹な陰湿さを指摘されている。 祖父・蒋介石の希望に従い陸軍学校に進む。ここでも2人の兄とは違って学校の綱紀を守り成績も優秀だったが、訓練中の負傷が元で学校を離れ、台湾大学に進学する。大学では時の総統の一族ということで、周囲からの注目を集めた。 幼いころから政界の暗部を目の当たりにして育ったこともあり、大学卒業後は実業家の道を選んだ。父・蒋経国は失望を隠せなかったとされるが、結局は息子の意志を尊重した。もっとも息子の蒋友柏のように完全に政界との縁を切ったわけではなく、父の希望で国民党の中央財務委員にも就任している。実業家としては「総統の息子」というバックボーンとその能力を活かして活躍、政財界の重要なポストを占め、若年ながら高い声望を誇った。 1985年、父の健康状態が悪化すると、財界で長年掛けて築いた地位を捨て、父の補佐に当たる。というのも本来後継者候補とされていた2人の兄が、後述するような理由で政界での影響力を失っていたためである。週2回、彼は父に公私各種の報告を行った。彼の権勢は強まり、「影の総統(地下總統)」の異名をとる程であった。 1988年1月13日、蒋経国が死去。蒋孝勇は中国国民党の中央委員に選ばれ、今後も政界で活躍するかと思われたが、その直後に突如出国、カナダに移住してしまった(後にはカナダ国籍を取得している)。 その後、父の後継者である李登輝が進めた「一つの中国、一つの台湾」という方針に不満を抱き、1996年行われた初の中華民国総統選挙では白票を投じた。また新聞に寄稿し、台湾による中国統一を主張する新党への投票を呼びかけるなど、活発な政治的活動を行う。しかしこの時にはすでにガンに侵されていた。 同年5月、蒋介石の孫として初めて浙江省奉化市の故地で蒋家の墓参りを行い、同12月22日、食道ガンのため台北の病院でその48年の生涯を閉じた。すでに2人の兄も死去しており、蒋経国と蒋方良の間に生まれた3人の息子はこれで全員世を去ったことになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蒋孝勇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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