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元寇(げんこう)とは、日本の鎌倉時代中期に、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(大元ウルス)およびその属国である高麗王国によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である。1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。蒙古襲来とも。 特に2度目の弘安の役において日本へ派遣された艦隊は、元寇以前では世界史上最大規模の艦隊であった〔村井章介『北条時宗と蒙古襲来-時代・世界・個人を読む』日本放送出版協会 2001年 126頁〕。 主に九州北部が戦場となった。 == 名称 == === 鎌倉時代・室町時代の呼称 === モンゴル帝国(大元ウルス)・高麗連合軍による2度の日本侵攻について、鎌倉・室町時代の日本の文献中では、蒙古襲来、異賊襲来、蒙古合戦、異國合戦などと表記していた。「異賊」という呼称は日本以外の外来から侵入して来る勢力を指すのに使われていたもので、『八幡愚童訓』等鎌倉時代前後の文献では、刀伊の入寇や神功皇后による三韓征伐についても用いられている。その他、「凶徒」という呼称も用いられた。また、1274年の第一次侵攻は文永合戦、1281年の第二次侵攻は弘安合戦などと表記されていた。 一方、元や高麗の文献では、日本侵攻を「征東(または東征)」「日本を征す」「日本之役」などと表記している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「元寇」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mongol invasions of Japan 」があります。 スポンサード リンク
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